「隠しとったんです。谷田が出身母体でしょ。太田興業を破門になったあとは谷田哲雄の代貸しやったかな。相談役という名目で関西護国団にはおったんです。会費をもらうために入れとったんです、ワシを。条件は“組解散せよ”と。それはできない。解散してカタギになったけど、でも“この街は出ていかない”と。それで3年居座ったんです。子供も嫁もおるのになんで出て行かなあかんのやって。条件なんか飲まれへんと。
相手が“問題になりますよ”と言っても、いや問題にしろと。オレ殺したらお前ら10年20年行くぞと。行けばええやんかって。そしたら向こうの地元の組織の代行が来て、“ここで住むなら住んでもけっこうです。そのかわり静かに住んでください”と。それで3年栃木には居座りましたね」
――そこは最後の意地を見せたんですね。
「そのあと捕まったんです。刑務所に5年。それでもう完全に大阪に戻ろうと。それで考えたのがいまの達磨塾なんです」
シャブを一掃できるとは思っていない
――それで西成で覚醒剤の更生支援とか活動しよう、と。
「ほんまはね、ワシ西成に住んだ事ないんですよ。大阪に出て半年だけ。事務所は西成の脇にある浪速区の大国町に事務所を出して。あとは住んでないけど稼げるとこが西成。ここで集金してミナミやキタで飲んどった。だから西成は知り合いはおるけど、ご飯を食べたり飲んだりはないです。西成の人には悪いけど、食べれるもんじゃない、と思っていましたから。
いまは違いまっせ、西成はいい街やと思ってます。西成の人間には、住んではいないけど毎日いるから、ここの人間だと思っていると言われました。どうせ達磨塾やるなら大阪で一番覚醒剤の多い西成でやろう、そう思ったんです」
――そのときはまだ覚醒剤止めてなかったんですか?
「キッパリ止めていましたよ」
――では、なぜ覚醒剤の多い場所にいこうと思ったんですか?
「多いほうが止めさせるという活動にインパクトあるじゃないですか。知り合いも多いし、もう止めやと」
――いま達磨塾は何人くらいいるんですか?
「50人くらいです。いまは組織改編中ですね、立て直し。塾は会費取ってやっていたんですけど。全国にあったんですけど、インターネットで大騒ぎされたでしょ。ちょっと待ってと。うちの幹部も何人かはずしたし。本も顔出しして少し大きくなりすぎたからもう少しきちんとした形でやろうと」
――西成から覚醒剤をなくそうというのは木佐貫さんのテーマなんでしょうか?
「ちゃいます」
即答で否定の返事が返ってきたが、果たして木佐貫さんの行きつくテーマはどこにあるのだろうか。