『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』(片岡大右 著)集英社新書

 直接現地へ赴くことができない遠いどこかで、誰かが苦しんでいる。そんな光景が突然、日常に飛び込んできたら、いったいどうすればよいのだろうか――。

 そんな問いかけから始まる、批評家の片岡大右さんの『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』。テーマは、ウェブ上で噂やデマを含む大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす「インフォデミック」だ。フランスの社会学者リュック・ボルタンスキーらの議論を参照しつつ、東京五輪直前に起きた“炎上”騒動の過程を検証した。

「再発見の成果を、一つの文化史的な興味をかき立てるようなものとして読者に伝えたかったんです」

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 2021年夏、五輪開会式の楽曲担当と発表され、数日後に辞任を余儀なくされたコーネリアスこと小山田圭吾。きっかけは「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」に掲載された「いじめ」を巡る発言だった。学生時代、障害のある生徒に悪辣ないじめをしていたとされた。

「小山田氏が語り、問題とされていた『事実』は、3つの時期、局面を経て形成された複雑なものでした。まず、実際の学生時代の出来事。そして、90年代の雑誌での発言。2000年以降は、それをもとにウェブ上の匿名掲示板で歪んだイメージ像が生成され、あるブログの恣意的な引用により共有されていった。それをそのまま大手新聞が報じたことで、一連の騒動に発展したのです」

 本書は、その背景にある「いじめ問題言説」成立の歴史についても論じる。

「そもそもいじめということば自体、80年代を通して学校生活との関わりで用いられるようになったものです。85年にいじめが原因とされる子供たちの自殺が何件も報じられ、『いじめは死に値するほどの苦しみを生み出し、自殺の原因になり得る』という認識が確立されました。それにより子供がすごく苦しんでいる時に、周囲の人にわかってもらえるようになったという側面はあります」

 1969年生まれの小山田が学生時代を過ごしたのは、いじめ問題言説が成立する前だった。

「じつは小山田氏は、当該の記事より前に出たインタビューで、当時のことを振り返り、いじめたとされている生徒との思い出を素直に語っていました」

 しかしウェブ上では、世間のいじめ自殺報道に触発されながら、当該記事の最も酷い部分だけが繰り返し拡散されていった。

「最初はいじめとは別の交流として語っていた話を、いじめ問題の枠組みの中で語り直したがために『障害者をいじめたとんでもないやつだ』という見方をされることになった。不幸なことだと思います」

片岡大右さん

 いじめ問題言説には功罪の両面がある。

「様々な現実をいじめということばで括ってしまうことで、もしかしたらそこまででない行為や出来事も、深刻な問題として一面的に捉えられるようになってしまった。いじめは許されないということは、今日ほとんど反論不能の倫理的規範の一部になっています」

 そして21年夏、多くの人が小山田に憤りの感情をぶつけた。

「彼らは個別的な事例自体に関心があるのでなく、自身の経験やいじめをめぐる通念から判断していた。メディア等を介して伝えられる単純化された情報やイメージに、憤り、それを広めようとする。それはインフォデミックの構造の問題に繋がっています。本来あるはずの複雑さを単純化してしまうことの両義性を、考えてみてほしいです」

かたおかだいすけ/1974年生まれ。批評家。専門は社会思想史・フランス文学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。単著に『隠遁者,野生人,蛮人――反文明的形象の系譜と近代』、訳書にデヴィッド・グレーバー『民主主義の非西洋起源について』など。