メンバー全員がゲイを公表しているアイドルグループ、「二丁目の魁カミングアウト」。近年では世界最大のアイドルフェスティバル「TOKYO IDOL FESTIVAL」に出演したり、アイドルの聖地中野サンプラザでのワンマンライブを成功させたりと、力強くも繊細なパフォーマンスでその人気をどんどん高めていっている。

 二丁魁の前身である「二丁ハロ」を結成当時は、ゲイアイドルという理由でここでは到底言えないような暴言を吐かれることも多かったと話す、リーダーのミキティー本物さん。それでも10年以上続けてこれた理由は何だったのか。また、彼らの目指す理想のアイドル像とは? お話を伺った。(全2回の2回目/1回目から読む)

 

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最初はメンバー集めに苦労した

――「人を楽しませるのに、セクシャリティは関係ない」と気がついて、本格的に稼働をスタートさせたゲイアイドルグループ「二丁ハロ」。スタート当時の話をお聞かせください。

ミキティー本物さん(以下、ミキティー) 「二丁ハロ」は、もともと番組の企画のために作られた即席のグループでした。それもあって、私以外のメンバーは「本気でアイドルをやろう」とは考えていなくて。まずは、同じ目線でアイドルを目指せるメンバー探しから始めましたね。

 とは言え、グループの実績がほとんどない頃は、メンバー集めに苦労しました。周りからの反応も散々でしたしね。

――周囲からはどんな反応があったのですか?

ミキティー 「ゲイアイドルグループなんて、絶対成功するわけないじゃん」と言われていましたね。「誰が応援するの?」「ファンになる人なんているの?」ってバカにする声がほとんどでした。

 アイドルイベントに参加しても、観客から暴言を吐かれたり、中指を立てられたり。特典会をやっても、他のアイドルグループにはたくさんのファンが並ぶのに私たちの列はガラガラ、なんてことがたくさんありました。

――それは、かなり辛かったのではないでしょうか……。

ミキティー 長年やりたかったことができていたので、辛くはなかったです。でも、「ごめんなさい」とは思っていました。私たちが参加するイベントって、女性アイドルが集まるイベントがほとんど。そこに前代未聞のゲイアイドルが出るなんて、ファンからすると意味がわからないのは当然です。私たちが出演する分、他のグループの出番は少なくなるわけだし。だから、私たちの出番が終わったときには「どうもすいませんでした」とはけるのが当時のお決まりでした。

 あと、バカにされることはある意味作戦でもあったんです。