「メンバー全員ゲイだから面白いこと言わなきゃ」と思っていた時期も
――作戦とは、どういうことでしょう。
ミキティー 「二丁ハロなんて」ってバカにされればされるほど、結果が出たときに「あの二丁ハロが!?」って驚きも大きいから。下積み時代は崖っぷちであればあるほど良い、と思っていました。
どうしたら「あの二丁ハロが!?」って思われるような結果を出せるのか。何が必要なのか。バカにされるよりも、グループの方向性がなかなか決まらないことの方がやっぱり辛かったかな。方向性が決まるまでは、オリジナル曲も出せないって思っていましたし。
――なぜ、方向性が決まるまではオリジナル曲が出せないと思っていたのですか。
ミキティー 歌が大好きだからこそ、ですかね。私たちに軸がないと誰にも響かないし、私たちも歌い続けられないと思ったんです。
方向性が決まるまでは何でもしました。当時メディアでは「オネエキャラ」が流行っていたから、私たちもそうしてみたり、毒舌を気取ってみたり。「メンバー全員ゲイなんだから面白いこと言わなきゃ」と思っていた時期もあります。
でも、この記事を読んでくれている方はお気づきだと思いますが、私って本来根暗なんですよ(笑)。どんなときも明るく振る舞ったり、面白いことを言ったりするのは苦手なんです。
私がやりたいのは、面白いことを言って笑わせることじゃない。学生時代の私が歌に救われたように、歌で誰かの心を動かすことなんだって気づいてから、やっとオリジナル曲の制作に取りかかれるようになりました。
長年表に出せなかったオリジナル曲をやっと解禁
――歌で誰かの心を動かしたい、という本心に気づけたきっかけはありますか?
ミキティー 少ないながらも、応援してくれるファンがいたんですよ。そのファンたちから「ありのままのミキティーが好きだよ、応援しているよ」とたくさん声をかけてもらって。それまでは、アイドルは弱い部分を見せちゃいけない、いつも笑顔じゃなきゃいけないって思っていました。でも、ファンたちの声で「弱い自分を認めてくれる人もいるんだ、私は私のままでいいんだ」って思えるようになりましたね。
先程も話したように、オリジナル曲は学生時代にたくさん作っていました。でも、自分の心を丸裸にしたような暗い曲が多かったから、「こんな素の部分をさらけ出して大丈夫かな?」と不安で、長年表に出せなかった。ファンの言葉を聞いて、当時の歌もやっと解禁できるようになりました。
そこから、世間の反応も「二丁ハロなんて」から、「あの二丁ハロが!?」に変わっていきましたね。
――ミキティーさんは、アイドル活動以外に振付師としても活躍されています。
ミキティー それも、「あの二丁ハロが!?」になるための戦略のひとつでした。二丁ハロはモーニング娘。の振りコピをしていたから、たまにモーニング娘。のイベントに呼んでいただいていたんですよ。それで少しずつ認知されてきたのは嬉しかったのですが、このままだとモーニング娘。に頼ってばかりのグループになってしまうと危機感を覚えて。
アイドルとしてやっていくには、強みを見つけないといけない。そこで考えたのが、リーダーの私が「振付師」として有名になって業界で一目置かれることでした。