──音楽を表現することに本気になり始めたタイミングはいつぐらいだったんですか?
音羽-otoha- 文化祭だけでは物足りなくなってしまったので、その後ですね。やっぱりバンドをガチで組みたいなと思って。兄の知り合いの女性ドラマーを紹介してもらって、地元のコンテストに出たりもしました。「十代白書」とか「閃光ライオット」に応募したりもしてましたね。
──自分で歌うようになったのは?
音羽-otoha- 仕方なくです。本当に歌を歌ってくれる友達がいなくて。それで仕方なく歌っているうちに、ギターボーカルになっていて。本当はギターに集中したいけど、オリアンティもギターボーカルだし、まあいいか、みたいな。本当はフロントマンも嫌なんですよ。端っこで下向いてギターを弾いていたいタイプなんで。バンドで前に出る存在になるのにも違和感があったし。そういう性格でした。
──振り返って、そういう10代後半の頃の思いといまの自分は真っ直ぐつながっている感じはありますか?
音羽-otoha- あります。表現したいことは何ひとつ変わってないです。ただ表現方法が人間関係とかいろいろなもので変わっていっただけで。昔から伝えたいことは何も変わってないです。
すべてのピースがハマっていまがある
──昨年の8月31日に「拝啓生きたがりの僕へ」という曲が発表されました。半年の休止期間を経て音楽活動を再開したタイミングということでしたが、これはご自身にとってどういうターニングポイントだったんですか?
音羽-otoha- 原点回帰みたいなものではありましたね。若干暗い話になるんですけど、一時期、空っぽだった時期があって。バンドが終わりかけだったくらいの時期から、自分が本当にやりたかった音楽を忘れてしまってたんじゃないかって、自分に問いかける時期がずっとあって。それを機に考え直したというか。音楽を始めた頃の純粋な気持ちを思い出したいと思って。原点回帰、そして過去の自分に対して問いかけるような曲ですね。少し時間がかかったけど久しぶりっていうような気持ちで歌いました。