岩井志麻子にとって、歌舞伎町で起きた殺人事件はいずれも被害者が女性だったことで、自身と投影しやすくなり、より切実な問題になる。
「2番目に殺された被害者の持ち物は犯人にほぼ持ち去られてるんです。だから、2番目の人はいまだに身元がわからない。3番目の17歳で殺された彼女は、図書館で借りた本を持ってたんですよね。
犯人は持ち去ってないんですよ。それで身元がわかったんですけど。彼女って、非行に走って高校を中退して、不良少女になって援助交際やってたけど、図書館で本とか借りてたんだなぁ。そこでわたしは彼女にすごく感情移入するんです。読書好きだったんでしょう。昔は不良でも本を読んでいましたよね。強い印象を残した歌舞伎町の事件って、この2つなんです。どちらも80年代ですもんね」
「東京は私にとって関係のない世界」だったけど
岩井志麻子の最初の結婚は23歳のときだった。
相手は地元で3代つづいた会社の経営者で、東京に憧れていた志麻子は結婚を機に、もうこれで地元を離れることはないだろうなと思った。
時はバブル期で東京発のきらびやかな暮らしぶりが岡山にも届いたが、羨ましいとも、妬ましいとも思わず、遠い遠い世界の話で、東京ってこんなんかあ、わたしに関係ない世界だなと思うだけだった。
創作意欲は消しがたく、10代のころから小説を書き始める。
1999年、『ぼっけえ、きょうてえ』で第6回日本ホラー小説大賞、2000年第13回山本周五郎賞を受賞。これを機に離婚、単身上京を決意する。
岡山から肌身離さず持ってきたのは散弾銃だった。散弾銃一丁あればなんとかなると思った。
少年のような好奇心と正義感を持って、大都会にやってきた岩井志麻子。
なぜだか、散弾銃を持って上京した彼女を想像すると、きりっと鉢巻きをしめた桃太郎を連想するのだ。
頼れる編集者に東京のお薦め物件を尋ねたら、新橋のウィークリーマンションを勧められ、しばらく住んだ。
次に別の編集者から勧められたのが、文京区白山のワンフロアに1世帯しか入っていないペンシルビルだった。
岡山から上京してきた女にとって、そこはホテルに長期滞在しているようで、くつろげる場所ではなかった。
契約更新のときにある編集者から「新宿七丁目にいいマンションが建つみたいですよ」と教えられた。