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LiLiCo そうそう。仮設住宅に住んでいる人も、避難所でただ座っているしかできない人もたくさんいて。多分、それで具合が悪くなってしまった人もいっぱいいたと思います。

 だからもう、私はその番組に出た時、派手なアプリコット色の超ミニスカートを着て大暴れしたんですよ。

©三宅史郎/文藝春秋

――あの時勢の中で、大暴れですか。

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LiLiCo とにかくみんなが元気になってほしいという思いで。そうしたら、その番組にくる視聴者からのFAXが、いつもの何倍もの量になって、スタッフがすごくびっくりしていて。しかも送られてきたのが、ほとんど被災地からだったんですよ。

 なかでも94歳のおばあちゃんから届いた「日本人が失ったものをこの人が全部持っている」という手紙がとても嬉しくて。それからバラエティ番組のオファーがバンバン来るようになって、仙台の番組にも出るようになったんです。だから私、当時は仙台にいっぱい行って、わざわざ収録前に前乗りして、いっぱい飲んで、いっぱいお金を落として、というのをずっとやっていました。とにかく応援しようと。

芸能界でブレイクしたあと、母親が突然他界する

――それがきっかけでブレイクされたんですね。

LiLiCo 私、芸能界に入ってから22年もかかってようやく名前が知られるようになったんです。

 事務所の電話に出る人からも「問い合わせがありすぎてトイレにも行けなかったんだから!」と言われるくらい、ありがたいことに連絡をいただいて。

 で、そんなことがあったあとに、母が突然亡くなったんですよ。

――それがさきほどお話しされていた「丹毒(たんどく)」という皮膚の病気だったんですか。

LiLiCo そうです。2012年にその病気で亡くなってしまって。唯一、私たち家族の救いは「母が亡くなった理由が自殺じゃなかった」ということでした。

 で、母の死因はめずらしいケースで解剖が必要だったから、お葬式が1ヶ月後くらいになったんですよ。そしたら、当時は忙しくてスケジュールがすごく埋まっていたのに、偶然にも母が亡くなる直前からその1ヶ月後までのスケジュールが真っ白になったんですね。

©三宅史郎/文藝春秋

 だから、それまでスウェーデンにまったく帰れていなかったのに、お葬式の2日間だけは帰れたというのが自分の中ではとても大きかったし、もしお葬式に出られなかったら、私は永遠に後悔したままだっただろうと思います。

――スウェーデンでは、お父様にも会われたのですか。