これといってすぐれた特色もなくごくありふれたもの――平凡で並みの人間を主人公にすることは、およそ「ドラマ」とは対義であるかもしれない。だが、二ノ宮隆太郎監督はそんな意など一顧だにせず作品として完成させ、静かに世に送り出した。
その映画、『逃げきれた夢』は、記憶が薄れていく症状が現われた定時制高校の教頭・末永周平の、そこからの姿を見つめている。周平を演じるのは光石研さんだ。
「市井でたまたま懐中電灯の光が当たったような男、それが周平です。僕は役者として特徴的なことはやりたくない。わかりやすく言うなら、ものまねされるような芝居はしない。だからこの作品でも際立ったことは一切やらないでおこうと考えていました」
光を当てられてもなお見過ごされそうな定年前の男に突きつけられた、「忘れてしまう」という変調。他人には些事でも、残りの時間を意識しないわけにいかない。周平はそこから背中を押されるように人生に踏み出す。
「だからといって何か事件が起きるわけでも、エンタメのような描写があるわけでもないんです。周平はこれまでと違う自分へ向かおうとする。だけど、家族や友人には空回りしているようにしか映らないんですけどね」
本作公開にあたり二ノ宮監督はこうコメントしている。
《映画の世界を志してから、好きな俳優という質問に、必ず光石研さんと答えていました。ものすごく人間だから、光石研さんが好きだと答えていました》
“平凡”に染められた服の下の、1グラムの心情。大仰にいえば、コンマ以下で振れる秤の針のように人の心は忙しなく揺れている。この作品はそれを見逃していない。
「台本(ホン)を読んだ時に、監督はスーパーマンは嫌いで、落ちこぼれそうな、縁をギリギリ行ってそうな人が好きなんだろうなと感じました。まだ30代半ばなのに、60の男を描いた台本から、あぁ、俺たち大人が思い悩んでいることがバレてるな、そう思ったんです。僕らが子供の時分、大人って威厳があって人生を相談すればちゃんと答えてくれる、そういう存在でした。でも僕たちが大人になってみて、とてもそうはなれていない。若い人からは“コイツら俺たちより不安定じゃん”って見透かされていたんだと思いました」
劇中、音楽――劇伴は一切流れない。感情のすべてを観る者に委ねているのだろう。
「周平の父親を演じているのは僕の親父なんです。そして僕が生まれ育った北九州でのオールロケ。恥ずかしかったですよ。子供の頃から俺のことを見ていた場所や建物を前に芝居するのは。笑われてる気がしてねえ。フィクションの世界から引きずり出されてドキュメンタリーのようなセリフを親父の前で言う。監督には、そのひとつひとつに狙いがあったのでしょうね」
ドラマとは何か。人間を描くとはどういうことなのか。物語で溢れかえった世に問いかけたような作品である。
みついしけん/1961年、福岡県生まれ。78年、映画『博多っ子純情』で主役に抜擢されデビュー。以後、冷徹なヤクザから良き父親役まで様々な役柄を演じ、映画やドラマに欠かせない存在として活躍している。現在、ドラマ『弁護士ソドム』(テレ東系/金曜20時~)、『だが、情熱はある』(日テレ系/日曜22時半~)に出演中。
INFORMATION
映画『逃げきれた夢』
6月9日より全国公開
https://nigekiretayume.jp/