杉本 そうですね、1週間のうち、丸一日とは言いませんが半日くらいは、それにかかりっきりの時間を必ず取られますからね。ただ、こうやって書くことで、いろんなことに関心を持つようになるので、いいことかなとも思います。今までは他の作家の方が書いたものを、ただ内容を楽しむばかりでしたけど、こういう表現方法もあるんだと思ったり、いろんな発見もありました。
長い沈黙が続いた後、「感想戦しますか」と声を掛け…
「棋士の涙」と題された一編(第57回)に、こんな印象深い一節がある。
長い沈黙のあと「感想戦しますか」と切り出す藤井竜王・名人。勝負の厳しさと、そこにある優しさがじんわりと伝わってくる見事な描写だと思うのだ。
研究会で当時小学生の藤井奨励会員に圧倒的な才能を見せつけられ、自分の弱さを恥じて目頭を押さえる兄弟子たちを何人も見た。そんな対局後はしばし無言。長い沈黙が続いた後、多くは藤井側からだったが「感想戦しますか」と声を掛け、盤上に両者の気持ちが戻ってくる。そんな日常であった。これは以前、週刊文春の記事にもなったが、後に東京大学に進む弟子の一人が奨励会を退会する直前、最後の研究会で対局相手に指名したのが藤井だった。
――奨励会を退会になると、最後に研究会で記念の対局をするんですか?
杉本 別に決めているわけではありません。退会すると来ないケースもあるんですけど、それでも最後の研究会に来る弟子がほとんどです。もう奨励会を退会しているから、正確にいえば一門ではなくなっているんですが、この間まで兄弟弟子だった者と、何局か対局していくことが多いですね。
藤井少年に逆転勝ちをされて言葉が出ない兄弟子も…
――このエッセイでは、藤井さんと最後の対局をして涙された場面が描かれています。
杉本 そうですね。まあ、横にいた斉藤(裕也)四段のほうが泣いていたような気がしますが。退会した彼は同郷の仲間でしたから。
――藤井さんと対局して涙する兄弟子の方もたくさんおられたのですね。
杉本 兄弟子との研究会って、だいたい藤井勝ちでした。今から思えば、ある意味、当然でしたが。あと逆転勝ちも多くて、どんなに兄弟子がよくても最後はひっくり返されている。逆転負けは棋士にとって辛いので、兄弟子はことばが出ない。ひどい逆転だとよりいっそう年下の藤井少年からは声をかけにくいんですけど、あまりにも沈黙が長いと、しばらくしてから「感想戦しますか」と声をかけていましたね。
写真=細田忠/文藝春秋