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 加えて、こうしたビラが容認された背景には、天安門世代をことさらに英雄視しない現代の若者の気質も関係していそうだ。

 集会が終わった後、私が貸し会議室の隅に座って運営メンバーたちの楽屋裏の雑談に耳を傾けていると、現場で最もアクティブに活動していた数人の女の子たちが驚くようなやりとりをしていた。話のやり玉に上がっていたのは、この日の現場に来ていた天安門世代の著名人(周鋒鎖とは別人)だ。

「あのオッサン、ほんとマジで何なの? 私たちに上から目線で説教してくるし、なんか勝手に演説口調で語り始めてるし。アタマ古いとかそういうレベルじゃないでしょ。はあああああ?」

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「そうそうそう! あいつ、自分のほうが私たちよりも『上』とか思ってるよね絶対。そんなわけないじゃん、私たちのほうが断然偉いから! っていうか、『民主派』名乗ってるくせに本人の言動がリベラルじゃないとか意味不明でしょ? 本気でありえないんだけど!!」

「感心な若者」は国家に反抗なんかしない

 もっとも表現の激烈さを除けば、こうしたムードは彼女らだけに限らない。自分の親よりも年上の、天安門世代のおじさんたちを敬して遠ざけるような本音は、昨年11月の白紙運動の当時から男女を問わずさまざまな参加者から耳にしてきたからだ。

 現在の中国社会に閉塞感を抱く20代の若者から見た場合、天安門世代のリーダー層は、過去の失敗した学生運動をいつまでも自慢して若者に説教を垂れながら、本人らは海外に出て成功したり、国内に残って転向してバブル景気のなかで金持ちになったりした、憎むべき脂ぎったおじさんたちなのである(実際はそうではない人も大勢いるのだが)。

展示された立て看板の写真を撮る、一般参加者とみられる人たち ©安田峰俊

 そうした大人のお説教に耳を傾け、ちゃんと言うことを聞くような「感心な若者」は、わざわざ国家権力に逆らったりはしない。そもそも往年の天安門世代からして、1989年当時は鄧小平をはじめとした党の元老の老人支配に強く反抗し、すこし上の文化大革命世代への嫌悪感を示して改革を求めた人たちであった。反抗する若者は常に上の世代を否定し、新しいことをやりたがるのだ。

 日本以外の諸国の在外中国人社会でも、今年の天安門追悼運動には、白紙運動で反抗の快感に目覚めた若者世代の参加者がかなり目立ったという。もちろん絶対数としては少数派の動きにすぎない話とはいえ、ながらく「寺の法事」さながらの停滞状態にあった天安門追悼運動は、事件から34年後になり突然の新陳代謝が発生してしまった。

 天安門を知らない世代が、往年の天安門リーダーの人権侵害を公然と批判しつつ天安門事件を追悼し、その運動が過去最多の参加者を集めた2023年6月4日の日本。これがただの椿事で終わるのか、今後のもっと大きな変化の導火線なのか。私は目を離せない。