今から34年前の1989年6月4日、中国では六四天安門事件が発生した。首都・北京の天安門広場に集結していた学生や市民のデモ隊を排除するため、中国共産党が人民解放軍を投入。市内移動の過程で実弾射撃や戦車を用いた群衆の排除がおこなわれ、数百人~数万人の犠牲者が出たとされる事件である。国家の改革や民主化を求めた学生に銃口が向けられた衝撃は大きく、事件は中国現代史の大きな汚点となっている。

 ゆえに毎年6月4日、日本を含めた各国では、在外中国人を中心に追悼活動がおこなわれてきた──。だが、事件の風化や中国の経済発展にともなって、各国の追悼活動はすでに下火になって久しかった。

 日本でも昨年までは、1960年代生まれの天安門世代を中心にした少数の活動家が、ささやかな規模のイベントをおこなうだけだった。毎年の顔ぶれも同じ、主張の内容も判で押したように変わらない「寺の法事」さながらの形骸化したセレモニーだ。2020年頃からは香港デモに共鳴する香港人の若者グループも合流しはじめたが、そもそも香港とは政体が異なり距離も約2000キロ離れた北京で、自分たちの出生前に起きた事件について、在日香港人の若者たちが入れ込むことには無理があった。

ADVERTISEMENT

若者が天安門追悼を叫ぶ異例の事態

 ところが今年は大きな変化が起きた。6月4日夕方、中国大陸出身の20代の若者グループが新宿南口で追悼集会を開催。ほとんど告知をおこなわなかったにもかかわらず、報道陣を含めて500人ほど(筆者の目算)が集まるという、この手の活動としてはかなりの規模のイベントになったのだ。新宿は在日中国人が多い街であり、集会を見て足を止めた一般の中国人もそれなりにいたようだった。

6月4日の新宿南口の光景。もちろんこの人たちはごく一部。©安田峰俊

 かなり異例の事態と考えていいだろう。事件直後を除けば過去30年以上、当事者よりも若い世代が天安門の追悼運動に積極的に関わったり、イベントが参加人数を大きく伸ばしたりした事例は皆無だったのだ。

 種明かしをすれば、この日の活動を主催したのは、昨年末に中国国内でゼロコロナ政策反対を旗印に起きた反体制運動「白紙運動」に呼応して、11月30日に同じ新宿南口で約1000人規模の抗議集会を運営したのと同じグループだった(11月30日の集会はこちらの記事参照)。

趣味のオフ会が政治化した

「おー、久しぶり。元気そうじゃん」「どうもどうも、お疲れですー」

 集会が開催される前の6月4日15時半ごろ、運営グループの臨時基地が設営されていた貸会議室(昨年11月とは別のビル)に向かうと、何人か顔見知りの若者がいた。白紙運動以前(後述)からの取材対象者もいるため、私としては勝手知ったるものである。