自らの祖母を皮切りに、4人を惨殺した殺人犯、石原亮平。「若くて、さらに幸せそうな人間を殺したほうが楽しい」と語ったその男は、死刑宣告の瞬間も笑っていた。石原に妊娠中の娘を殺された牧師の保阪宗佑は、拘置所に出入りする教誨師(きょうかいし)となって娘の仇と対峙する術を摸索する――。
教誨師とは、刑務所や拘置所で宗教活動を行う聖職者のこと。長期刑や死刑を宣告された囚人たちの精神を安定させる大切な役目を担っている。「死刑囚となった殺人犯を被害者遺族自身が教誨する」という奇想天外な設定は、どのようにして出来上がったのか。著者の薬丸岳さんに聞いた。
「僕としては珍しいことなんですけど、ある晩、本当にふと、この話が浮かびまして。寝る前の数時間くらいで、おおまかなストーリーができあがってしまったんです。できればすぐに書き始めたいと思い、数カ月後に他の作品で連載が始まる予定だった『小説 野性時代』の担当編集者に相談して、この話を書かせてもらうことになりました」
全体的なストーリーはすぐにできたとはいえ、いざ執筆を始めると様々な問題が浮上。この物語をリアリティをもって構築していく作業は困難を極めた。
「被害者の遺族が犯人を教誨するという設定自体は面白いんですが、実際にはありえない話です。これをどういうふうにクリアすればいいのか、正直なところ、連載スタートの時点ではまだ解決できていなかったくらいです。もうひとつ困難だったのは、拘置所や教誨師について、小説を書くうえで必要な文献というのがあんまりないということ。元刑務官の方の談話などはあるのですが、かなり前のことで、今の時代は違うかもしれないと思うこともありまして。参考文献にあげたもの以外にもたくさん目を通し、今の時代に即して信ぴょう性が高いだろうな、という部分を拾い上げていくような作業でした」
このままでは娘の無念を晴らすことができないと、復讐心に近い気持ちで石原に近づいた保阪だったが、彼と接し続けるうちにその心境は複雑に揺れる。薬丸さん自身も、2年に及ぶ連載期間の最後まで悩みながら執筆していたという。
「僕は、物語を作るときには、できるだけ多くの読者が腑に落ちるような着地点を持ちたいと思っているんです。でもこの作品はそれが難しくて。単に殺人犯が改心する話にはしたくなかったんです」
キリスト教には、神の「赦し」という概念があり、それが教誨の根拠にもなっている。だが、この作品で重要だったのは、あくまで保阪が人間として、石原を「許す」ことができるかどうか。実は保阪にも、自身の行動から娘の実の母親である女性を死なせてしまった過去があった。法では裁かれなかった罪を背負いながら、娘を殺した男と対話し続ける。まるで苦行のような日々の果てにやってきた死刑執行の日、石原が保阪に告げた言葉とは――。
「ラストには賛否両論あると思っていて、この本を出した直後は読者の反応がかなり怖かったんです。でも今の心境としては、賛否両論があったとしても、それがこういった問題の本質なのかな、と感じています。僕は物語のなかで非常に難しい問いを出して、なんとかその答えを探そうともがき続けていたけれど、唯一の答えが出ないことが答えといいますか。保阪の気持ちに共感できない、この結末に納得ができないという感想があったとしても、そういう気持ちにさせた時点でこの本を書いた意味はあったかなと思っています」
やくまるがく/1969年、兵庫県生まれ。2005年『天使のナイフ』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。16年に『Aではない君と』で吉川英治文学新人賞を、17年に短編「黄昏」で日本推理作家協会賞〈短編部門〉を受賞。他の作品に『刑事弁護人』『罪の境界』などがある。