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 すぐに自宅を訪ねましたがもぬけの殻、実家にもおらず、浜田くんが立ち寄りそうなところを手分けして片っ端から捜したけれど見つからない。どうしよう、どうしようと日が過ぎていきました。

 売れっ子芸人が、超人気番組をすっぽかすことになったのです。懸命に捜しつつ、責任者として僕は頭を下げて回りました。

 僕だけでなく、スタッフも関係各所に謝りに行きましたが、放送局の人たちは怒るどころか、気遣ってくれました。契約違反とか始末書とか「坊主にして順番にスポンサーへお詫びに回れ」という話になりかねませんが、一切そんなことはありませんでした。

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 周りのスタッフたちも怒鳴ることもなく、心配してくれました。照明のおっちゃんからファンの女の子たちまで、みんなが2丁目劇場をゼロからつくり上げた「同志」だったからだと思います。

2丁目劇場の階段の踊り場で涙をこぼす

 浜田くんの穴は松本くんが一人で埋め、そこに今田、東野、ほんこん、板尾創路、キム兄、若手たち全員がワイワイ盛り上げてしのぐ。本番が終わればひたすら心配し、「えらいことになった、どうしようどうしよう」となって1週間がたった頃。

 浜田くんは、ひょっこり戻ってきました。

浜田雅功氏 ©文藝春秋

 謝るでもなく、説明するでもなく、戻ってきて、うつむいていた歳の青年。誰も浜田くんを責めませんでした。

「何をしていたんだ!  仕事を放り出してどこへ行っていた?」と問いただすこともなく、「どんだけ心配して、捜したと思ってるんや!」と怒ることもなく、ただただ、

「よかった、よかった」

 と迎えました。

 2丁目劇場の狭い階段の小さな踊り場で、出迎えた僕たち。

 みんなばらばらと座り、浜田くんも階段に座り、うつむいて無言で涙をこぼしていました。そうなると釣られてみんなが泣き、僕も黙って泣いていました。

浜田が消えたくなった理由

 今思えば、浜田くんは「やーめた」と抜けたくなったのでしょう。ずっと仕事もなかったのに、突然、売れっ子になった。

「すごいぞ、大人気や!」

「こんな新しくてキレのいい笑い、見たこともない。ダウンタウンの時代だ」

 ほめられればうれしいものですが、それは重圧でもあります。

 月曜から金曜まで、毎日テレビに出てテンションを上げ続けるのは、ベテランの芸人でも想像を絶するプレッシャー。20代前半の、ちょっと前まで町のやんちゃな兄ちゃんだった浜田くんには想像以上にキツかったはずです。

 うまくいく日もあれば「あっ、すべったな」という日もあったでしょう。共演している芸人たち一人ひとりに気を遣ってあげないといけない“ストレス貯金”がちゃりんちゃりん。目一杯にはりつめて120%出し切った今日が終われば、すぐ明日の準備が始まります。