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「誰がなんと言おうと、俺はこれがおもろいと思う!」

 才能が認められ、花開いていくダウンタウンも、時として意見が食い違うこともありました──というのは、ずいぶんとぼやかした、かっこつけた書き方です。

 殺到する新番組や特番、CMのオファー、雑誌やテレビの取材、レコードやドラマの出演依頼。ものすごい数ですし、かかわるスタッフも企画もさまざまです。どれを受けるか受けないか、真剣であるが故に松本くんと浜田くんが意見を異にすることは珍しくなく、『ガキの使いやあらへんで!』なども実はそうでした。

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「浜田にこんな企画をやらせたらダメになる」

「松本にこれは合わない」

 どっちも相方のことをつよく思ってのことなので、意見が分かれると大変でした。

「このまま喧嘩別れで、ダウンタウンは解散か」というヒヤリとする場面は、幾度となくありました。

大﨑洋氏 ©文藝春秋

「白黒つける」は本当に正しいのか?

 白か黒。意見がまったく対立してしまった時には、どうすればいいのか? これって、学校や会社や家の中でも、ものすごくよくある話だと思います。

「紅生姜のない牛丼なんてありえへん」

「牛丼に紅生姜を載せるのは邪道や」

 こういう他愛のないものだけでなく、「環境を守るのか、経済の活性化か」といった、もっと難しい問題もあります。

 特に今は、白黒はっきりさせるのが大流行です。

「エビデンスからしてAの治療法が正しい。Bは科学的根拠がないから間違いだ」

「恋愛は自由だけれど、不倫は大犯罪だ」

「それはあなたの個人の感想ですよね。証拠を示してください」

 なんでもかんでも白チーム、黒チームに分かれて、どっちが正しいかはっきりさせようとする。何が善で、何が悪で、何が正しく、何が間違っているかを、いろんな証拠だの科学だので整理整頓しようとします。

 それを「論破!」なんてやる人もいて、「いやあ、頭のええ人や。芸風として成立してはる」と見ていて感心するのですが、現実の世界はまた違います。

 白黒つけるというのをやりすぎると、関係が壊れたり、何かが失われたりしていくことは、案外たくさんある気がします。

三人目のダウンタウン

 ダウンタウンの二人が「白 黒」になってしまった時、僕は割り込むことにしていました。

 まずは浜田くんと松本くんのどちらか一人と一対一で話すのです。

「なあ、松本どうする?おまえは黒がええと言うし、俺も同じ意見やけど、浜田は白やと言ってる。どうしようか?」