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小川 はい。ただ、高額な献金を要求するのは間違っていると思う一方で、献金したい人もいるわけじゃないですか。それは例えばユニセフに寄付をするのも同じで、何百万、何千万円だとしても献金すること自体は別に本人の信教の自由ですよね。

 だから、一番実現したいのは、2次被害を受けている子供たちを守ること。何の罪もなく何も悪くないのに、親が無自覚に搾取されているせいでとばっちりを受けている、巻き込まれている子たちを守ってほしいというのが一番なんです。自分も昔の、あの頃の自分を救いたかった。そこがやはり一番大きいですね。

体操服もランドセルも買ってもらえなかった少女時代

――『小川さゆり、宗教2世』を拝読して、やはり強く印象に残ったのが子どもの頃の経済的な困窮についての記述です。体操服もランドセルも制服も買ってもらえず、小学生の頃から自分で自分ときょうだいの髪を切り、卒業アルバムも買えないというのはいわゆる貧困家庭と言っても差し支えないほどだと思います。

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『小川さゆり、宗教2世』(小学館)

小川 学校では「臭い」だとか「あのきょうだい貧乏」「キモい」と言っていじめられました。他の人の目に自分たちはそう映っていたんだと知って、自分のことを否定されたような、目の前が真っ暗になるような気持ちになったのを覚えています。それを自分で認めるのが嫌で、いじめられているという事実に目を向けず、両親はおろかきょうだいの間でもその話はしませんでした。学校でうまくいかないことを親に話したところで、「学校、サタン世界だからね」で終わってしまうんです。

 当時はそれが統一教会のせいだなんてまったく思わなかったんですが、そう思えない環境はやはり異常だと思います。子どもは、自分の意志ではなく入信しているパターンが圧倒的に多い。入信しているだけなら別にいいんですけど、金銭的な被害、貧困の被害がものすごく多いんです。

幼少期の小川さゆりさん ©小学館

――小川さんの家庭以外にも?

小川 自分も教会に通っていたので、もう見るからにわかるんですよね。みんな、学校で見る他の子と違い見た目もちょっと「あ、貧しそうだな」って子が多くて。子どもも含めそんな人ばっかりなんです。逆にいっぱいお金を持ってる人は教会では悪いとされてるんですよ。「あの人あんまり献金しない」=「すごく傲慢」みたいに。

――本来教会に渡すべきお金を渡していない人たちという扱いなんですね。

小川 そうです。「すごい傲慢」と言われるんです。お金を持ってるのは罪なんです。だから私たちのような、貧困家庭が普通でした。サタン世界の中では苦労が多いとか、苦労したほうがいいとはやっぱり言いますから、それが普通なんでしょう。