「家庭が壊れるまで、完全に壊れたと気づくまでは、家族をどうにか立て直して頑張ろうと思っていましたよ。妻とは刑期の前半までは、連絡を取っていたし。途中で俺のほうから連絡するな、って言った。その間に妻の心が離れているとは思ってなくて、のんきに大丈夫だろうって思っていた。
うちの妻には贅沢をさせていたし、大丈夫だろうと。多少の金も残して懲役に行ったし、途中までは小遣いが入るようにもした。妻は俺が稼げる人間ってことをよく分かっているし、そういう理由で大丈夫だろうって。いま思えば、都合がいい勝手な考えだけどさ」
変わり果てた家族との再会
出所して1週間、誰とも会わないで部屋でのんびりと、これからどうしようか考えていた。昔の仲間と切れたとなると、まずやるべきは17年離れ離れとなった家族を立て直すことだった。
何を話そうか決めて、妻の電話番号に連絡した。「現在、この番号は使われておりません」というアナウンスが流れる。刑期の半ばまで来ていた手紙の住所を確認したが、どうも別の人間が住んでいた。父親であるという証明を持って、17歳の子どもの住民票から現住所を探し当てた。妻と子どもは九州の片隅で暮らしていた。
「服役中、九州にいる知り合いから、妻に現金書留を送らせていた。連続で宛名不在か何かで戻ってきた。そのとき、あれ? とは思っていた。いままでは送ったお金は受け取っていたから。九州の知り合いに住所を見に行ってもらったら、どうも違う人間が住んでいるって。子どもは認知していたから、子どもの情報を聞くことができる。子ども経由で現住所を探し当てた」
生活保護で暮らしていた妻と子ども
九州の片田舎だった。住所はローカル線路沿いの老朽化した市営団地だった。白い外装は剝がれ、汚いゴミ捨て場、雑草だらけ、舗装がされていない歩道――ひどい家に住んでいるなと思った。呼び鈴はない。玄関を叩いた。