感染症対策どころではなくなってしまった。男性は無理を言うばかりで取りつく島もなく、結局、Aさんと店長はその後30分も店外で怒鳴りつづけられたのだった。
実は、このような事例は、いまでも日本中で発生しつづけている。
たとえば、コロナが蔓延しはじめた時期に、店舗営業を続けていたとあるドラックストアが不特定多数の人から「営業するな」との電話を受けている。また、ある野菜の産地で感染者が増えているというニュースが報道されれば、「その産地の野菜を買うとコロナに感染する」と常連客から返品されたという風評被害の事例などもある[桐生 2020]。
例を挙げればキリがないほど、コロナ禍によって理不尽なカスハラが全国各地で急増しているのだ。
クレームとカスハラの違い
Aさんの事例を読み、あなたはどう思っただろうか?
「クレーム対応の仕方が悪いよね。外に連れ出さなくてもよかったはず。誠意を尽くさないからお客さんも怒る。もっとうまく対応できれば大事にはならなかったはず」
もしそんなふうに思った方は、「そもそもクレームとはなにか」を知る必要があるだろう。
クレームとは本来「問題解決を求めている場合の要求・主張」のことをいう[田中ほか 2014]。今回の場合、マスクの着用を店側が頼んだことに対し、男性が要求した内容は問題解決には至らない、簡単に言えば「言いがかり」だ。その後の男性の態度や言動を見ても、このクレームの悪質性が窺い知れる。
「はじめに」で「悪質なクレーム」を、「商品やサービス、性能、補償などに関し、消費者が不満足を表明したもののうち、その消費者が必要以上に攻撃的であったり、感情的な言動をとったりしたもの、または悪意が感じられる過度な金品や謝罪を求める行為」と定義した。
店長とAさんにマスク着用を求められた男性客は、その対応に不満を漏らした。「知らなかったのでマスクを持っていない」と言えば済むところを、喚き散らして暴れるといった常軌を逸する行動に出たのだ。高圧的な態度で従業員を攻撃し、過度な謝罪とサービスを求める行為は、相手を傷つける加害=カスハラにあたる。
では、こうした悪質なクレームを容認すれば、店の商品やサービス、性能や補償が果たして向上するだろうか? むしろ悪化の一途をたどることは容易に想像がつく。理不尽な要求に対応していては、業務効率も下がり、周りの客からも不審に思われるだろう。そして、悪質なクレームを受ける従業員の心身の被害を疎かにしていては、次々に辞めていってしまうだろう。
悪質なクレームを容認していると、客の質も店の質も下がるばかりの悪循環が待ち受けているのだ。