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ーーそういう意味では、吉沢さんの場合は子どもの頃は高速道路を走らせてもらっていたということでしょうか。

吉沢 そうです。外部の塾に通わせてもらったり、インターネットの世界に没頭したりと、本当に自由にやっていましたね。だからこそ、社会に出てからがすごく大変で。社会では、公道でみんなと歩幅を合わせて走らなければいけなかったので。

 ギフテッドは、教育を抜けたら勝ち、教育をくぐり抜ければ社会で活躍できると思われがちなんですけど、教育も社会も同じ仕組みなのでそんなことないんですよね。

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 一番危ないのは、子どもの頃に無制限に才能を伸ばしてしまって、そのまま社会に出てしまうことです。500km/hで公道に突っ込んでいったらそりゃ大変なことになりますよね。

どちらが優秀とかではなく、お互いに役割分担がある

ーーギフテッドが能力を自由に発揮できる場を選ぶ・作ることが大事であり、「無理に公道を走る必要はない」と吉沢さんは考えてこられたということですよね。

吉沢 そうです。それは教育においては自学の場であり、社会においては権限委譲です。そしてもう一つ重要なことが、「自分は周りと違っていてもいい」という感覚を育てることです。自分と周りは違うけど、だからこそ自分ならではのできることもあるし、お互いの立場で還元しあえると思うので。

 そして自分と周りは違うから、「周りにとってよい環境が自分にとってよい環境とは限らない」ということを理解し、勇気を持って周りと違う道を選び、自分にとっての高速道路にたどり着くことが重要だと思います。

ーー能力が高いか低いかではなく、周りと違うのが当たり前だと考えることが、ギフテッドにとっても社会にとっても大切だと。

吉沢 ギフテッドって血圧だと思っているんです。高血圧でも低血圧でも体に不調をきたしてしまう。

 時速60km/hの車と時速300km/hの車は、どちらの方が優秀なのかって考えた時に、「鈴鹿サーキットだったら」って前提がつけば後者の方が良いかもしれないですが、買い物に行くのには前者の方が使い勝手がいいですよね。

 私自身はみんなに自分を受け入れてほしいと願う立場なのに、自分自身は周囲を受け入れようとはしないというのは自分がありたい姿ではないんです。自分を拒む相手を恨みたくなる時もありましたが、優劣で考えたら終わりだと思っています。どちらが優秀とかではなく、それぞれに役割分担があるんだと思っています。

写真=松本輝一/文藝春秋

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。