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〈IQ150越えのギフテッド〉「社会に出てから地獄の始まりだった」麻布中学出身の男性(37)が語る、3度の休職と周囲から言われた言葉

ギフテッド吉沢拓さんインタビュー#2

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遺書を残し、自殺未遂を図った

ーーその休職期間中に「ギフテッド」という言葉を知ったんですよね。

吉沢 そうです。3社目でもうまくいかないなら、もう周りと違う自分が去るしかない、自分が世の中と違うとするなら、この世から去るしかないと、24時間突き詰めて考えるようになってしまって。

 それまで上司と衝突しても、自分で真っ当と思う生き方を守ってきました。ただ、自分の限界が来てしまい、このままでは人を恨んで死ぬことになると思ってしまって。それだけは絶対に避けたかったんです。だから遺書に感謝の言葉だけを書いて自殺を図りました。

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 死にきれなかったことで、今度は自分自身を全て知るために、改めて心理検査を受けてみようと思って。そこでもIQ数値は138と高かったんですが、結果として「あなたは目がいいから本質を考える能力に欠けている、周りとうまくいってない」と言われて。

 その結果に納得できず、インターネットで調べる中でギフテッドという概念に出会いました。それからギフテッドについて専門知識のある医師(東大大学院寄付講座の池澤聰先生)のもとに転院しました。その後、受けたハイレンジIQテストCAMSでは、152.5とやはり高い数値が出て。これまでの生きづらさの原因はこの特性だったんだと気づきました。

ギフテッドは“伸ばそう”という姿勢が逆効果だったりする

ーーギフテッドという特性を知ってから心境の変化はありましたか。

吉沢 特性なので、治療方法があるわけではないですが、これがデフォルトの状態なんだと知ることができたのは良かったです。これまで出会ったきた精神科医の話を聞いていると、生きづらいということは何かが足りていないに違いないと思ってしまうようなのですが、逆に人よりも情報量や考える範囲が大きいことでも生きづらさを感じることがあると知りました。

ーーその後、吉沢さんは4社目への転職をされましたが、その会社での働き方はいかがでしたか。

吉沢 面接の時に、これまでの経験やギフテッドの特性について話して自分自身を理解してもらえるように努めました。最終面接では人事のトップから、ギフテッドという概念も認識していると伝えられ、ここなら自分の居場所を作れそうと思い、入社を決断しました。 

 上司には自分の取り扱い説明書を渡して理解していただいたことで、関係部署と信頼関係を構築しながら成果を出すことができました。会社はD&I(企業で働く人材が性別、国籍、年齢にかかわらず尊重され、個人の能力を発揮している状態)に力を入れており、そのモデルケースとなれるように成果創出に努めた結果、社内の成果評価では数少ないマックスの評価をいただき、外部の人事データ分析のコンペで優秀賞を取りました。環境を変えたことで自分の能力を発揮できたというポジティブな例だと思います。

ーーギフテッドにとって環境は非常に大切だということですね。

吉沢 よくギフテッドの話をする時に時速で例えるんですが、「300km/hの車では公道をうまく走れない」と悩んでる人に、「じゃあ時速が400km/h出るようにしてあげよう」とはならないですよね。「天才なんだからもっと才能を伸ばしなよ」って言われることもありますが、そのまま社会に出てしまうと事故が起きてしまうんです。

 なので僕たちギフテッドは、300km/hを出しても平気な高速道路を必要としているんです。当事者が必要としているのは安全、社会が必要としているのは能力。むしろ、守られれば勝手に伸びるので、「伸ばそう」という社会の姿勢が逆効果だったりするんです。思いっきり走れる高速道路を用意してもらえれば勝手にアクセルを踏みます。

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