1ページ目から読む
4/5ページ目

20世紀半ばまで海の上だった「舞浜」に何があった?

 舞浜駅周辺、ディズニーも住宅地も鉄鋼通りも、もともとは海の上だった。昔から陸地だったのは、舞浜駅の近くでいうと舞浜小学校から見明川を挟んだ対岸の一角くらい。埋立地ができる前の舞浜一帯、千葉県浦安町は、リゾートとはまったく無縁の小さな漁村のような町だった。漁業に従事している人も多く、浦安沖はなかなか優れた漁場だったようだ。

 それがリゾートの町に生まれ変わったきっかけは、昭和30年代に始まる埋立計画にあった。実は、古くから好漁場だった浦安は、最初の埋立計画からは除外されていたという。

 しかし、埋立計画が具体化しつつあった時期に、本州製紙江戸川工場から汚水が海に流されて水質が悪化する事態が生じた。漁業環境が悪化して魚が獲れなくなった漁師たちが工場に大挙して押し寄せる事態にもなったこの事件をきっかけに、“好漁場”としての浦安沖の価値は大きく損なわれてしまったのだ。

ADVERTISEMENT

 そこで、漁場を維持するのではなく埋立事業を行うことによってその補償で漁師たちの生活の安定も図るという方針に転換。そうして具体化したのが、昭和30年代に始まる第一期海面埋立事業であった。ほぼ同時期には埋立地に大レジャー施設を建設するアイデアも持ち込まれ、昭和30年代後半に事業内容が決定。A・B・Cの3地区に分けて、1965年から埋め立て工事がスタートしている。

 最初にスタートしたのは内陸側のA地区・B地区で、鉄鋼通りなどがそれに含まれる。次いで1968年にC地区、すなわち「舞浜」と呼ばれているエリアの埋立工事がはじまった。そこからディズニーランドの誘致計画も本格的に動き出し、1974年に千葉県が計画を承認。正式に誘致が決定したのは1979年で、翌年に工事がスタートしている。

 いずれにしても、小さな漁村の好漁場が工場の排水で汚染されて漁師たちの生活が困窮した……という、あまり前向きではない歴史の一ページが、こうして日本一のテーマパークを呼び寄せることにつながったというわけだ。