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「問題なし」としたのは、おそらく特設注意市場銘柄の第三者割当増資は認められないからだろう。増資ができなければ東芝は債務超過となり、経営破綻が現実味を増す。当時の東証は実のあるコーポレート・ガバナンスの徹底よりも、東芝の債務超過回避を優先したわけだが、「その後のアクティビストの暴れぶりを考えると監督体制の不備を理由にいったん法的整理し、その上で再建を目指した方が良かったのかもしれない」と元東芝幹部は語る。

東芝が崩れていく

 2つ目。現在の東芝執行部が、再建するのに最良と考えている会社形態は非上場化だが、同社は過去にも非上場化しようとしたことがある。21年春のことだ。

 画策したのは旧三井銀行出身で、当時、東芝社長兼CEOだった車谷暢昭氏。車谷氏は20年の株主総会で取締役に再任されたものの、大株主であるアクティビストの反発を受け、危うい権力基盤の上で指揮を執っていた。

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東芝の車谷暢昭元社長 Ⓒ時事通信

「これ以上、アクティビストの思い通りにさせてはならない」

 車谷氏はそう思ったのか、MBOを通じて東芝を非上場化しようとしたが、資金の出し手と見据えた相手に問題があった。目の先にあった欧州系最大のファンド、CVCキャピタルパートナーズは三井住友フィナンシャルグループ副社長だった車谷氏が17年に退任した直後に身を転じたファンド。車谷氏は東芝入りをする前にCVC日本法人会長に就いていた。

「監督」と「執行」のきなくさい癒着

 車谷氏の計画にはさらに問題があった。米GE出身で、当時CVC日本法人最高顧問の肩書も持っていた藤森義明氏は19年、東芝の社外取締役に就任した。いわば旧知の友達が東芝の経営執行トップと監督役という間柄だったのだ。さらに非上場化を目論んでいたころに2人はCVC日本法人社長の赤池敦史氏と東京・西麻布にある会員制のワインバーで一緒だったことがしばしば目撃された。

 かなりの利益相反が疑われる人間関係や行動が明るみに出たこともあって、世間は東芝の非上場化に反発、計画は頓挫。ほどなくして車谷と藤森の両氏は共に東芝を去った。

 あれから2年。東芝は再び非上場化を目指すことになった。資金の出し手がCVCからJIPに変わるなど環境は大きく異なるとはいえ、目指す経営形態は同じ。東芝関係者がコーポレート・ガバナンスに高い意識を持っていれば、時間の空費は避けられたのかもしれない。