車谷氏に引導を渡した取締役会議長・永山氏
車谷氏が東芝の社長兼CEOを退任したのは21年4月。引導を渡したのは中外製薬名誉会長で当時、東芝の取締役会議長だった永山治氏だ。関係者によるとその後永山氏は、本来なら執行の監督役である取締役会が部分的に執行に関与できるような枠組みを模索、社外取締役で構成する「戦略委員会」を発足させた。
「東芝が採用する指名委員会等設置会社とは、執行が会社の業務を担い、取締役はそれを監督する統治形態。永山さんはそれを承知していたから、社外取締役で構成する戦略委はでしゃばらず執行に助言する組織にとどめようと考えた。委員長には自身が就くつもりだった」と東芝関係者は振り返る。
しかし6月の株主総会で永山氏の取締役再任は否決された。このため戦略委の委員長には東芝と株主であるアクティビストとの協議を経て社外取締役に就いたポール・ブロフ氏が就き、やはりアクティビストである米ファロラン・キャピタル・マネジメント出身の社外取締役、レイモンド・ゼイジ氏と共に戦略委を主導するようになった。これにより永山氏が執行部の補佐的機関にしようとしていた戦略委が経営の主導権を握るようになり、21年11月、東芝をインフラサービス会社、デバイス会社、資産管理会社に3分割するという事業計画を策定した。
異常事態来る…取締役13人のうち半数がアクティビスト
本シリーズの3回目ではオリンパスやJSRがアクティビスト出身者を社外取締役に迎えて企業価値を上げていることを紹介した。形の上では東芝も同じだが、戦略委が中心となって21年11月に事業計画をまとめて以降の同社の動きは、オリンパスやJSRなどとは大きく異なる。驚くことにブロフ氏やゼイジ氏が主導した戦略委が打ち出した分割案に、株主で、彼らと良好な関係にあったはずのアクティビストが反対、再建策を巡って会社が大混乱したためだ。
混乱の責任を取る形で社長兼CEOだった綱川智氏は辞任した。しかし混乱の原因を作ったともいえるブロフ氏とゼイジ氏は昨年の株主総会で取締役に再任され、さらにはアクティビスト出身者2人が新たに社外取締役に就いた。
この結果、昨年の株主総会では選任された取締役13人のうち6人がアクティビスト関係者という異常事態に陥った。取締役に再任された元名古屋高裁長官の綿引万里子氏が株主総会当日に辞任したのは、いびつな取締役会の構成に嫌気がさしたためといわれる。
不正会計が発覚してから8年。東芝では理解に苦しむことが山ほど起きた。このうちコーポレート・ガバナンスのルールや原則から逸脱していると思われる出来事をざっと拾っただけでも、これだけ検証すべきことがある。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。仮に東芝が非上場化されれば、世間は「東芝が上場していた時にはこんな異常なことがあった」と思い出すことすらないかもしれない。しかしコーポレート・ガバナンスに対する意識が極度に欠落した、かつての名門企業が辿った道を他山の石としない限り、今後も日本に第二、第三の東芝が生まれるに違いない。