ピンポンを押すのが怖い
ーー抵抗感は?
関口 すごく嫌でしたけど、「嫌だ」とは言えなかったです。
子供だったから、まったく知らない家のピンポンを押すのが怖いんですよ。で、家の人が出てきたら、訪問布教の口上みたいなものを言うんだけど、それを言い終えた後の反応が恐ろしくて。
出てくる人のなかには、僕らに寝ていたところを起こされて機嫌が悪い人とかいたし、「いらない!」「うちは関係ないから帰れ!」とか怒鳴るオヤジもいたし。「はぁ? なんなんですか」と驚かれるのも辛くてね。
「ネクタイした子供が、人の家に本を売りに来るってどういうこと?」っていう奇異な目で見られることに対する恥ずかしさみたいなものも猛烈にあった。さらに居心地の悪さや、怒鳴られるかもしれない恐ろしさとかも相俟って、すべてが嫌でしたね。
ーー訪問する時間帯や回る地域は決められていたのですか。
関口 時間帯は、土曜の午後とか日曜、つまり家に人がいる時間ですね。訪問する地域は毎回違って、グループのリーダーみたいな人が地図を持って「何丁目の何ブロックを目標に、2時間回りましょう」といって、一組ずつ分かれて回っていくんです。で、2時間経ったら合流して「今度はこのブロックを回りましょう」ってのを繰り返す。当時、僕は成城学園に住んでいたので、そのあたりを隣町もふくめてグルグルと。
最初の頃は母と一緒に回っていたけど、小学6年生ぐらいからひとりで行かされるようになりました。怖くてピンポンを押せなくなったりして、「留守でした」とか嘘をつくこともありましたね。
布教活動中に、同級生にバッタリ会うことも
ーー住んでいる町で訪問布教をするとなると、同級生に出くわすこともありそうですね。
関口 同級生の女の子に出くわしたことがあります。ひとりで留守番していたようで、玄関に出てきて僕を見るなり「え、なに?!」って驚かれて。でも、母と一緒にいたから、いつもの口上を言わなきゃいけないわけですよ。
僕は学校と教会で、顔を完全に使い分けていて、学校では「俺さ~」みたいな口調で話してたんです。でも、教会ではそういった口調はよしとされないから、「僕は」とか「私は」とか、妙にかしこまった言葉づかいで、話す内容もすごく考えて選んでいて。
それが同級生の女の子に会っちゃって、彼女の前で「僕は……」とか言うわけですよ。向こうもこっちも「なんなんだろう」っていう。「気まずい」って、まさにこういうことを言うんだろうなって。
ーーそこから噂になりませんでしたか?
関口 たぶん、小学校のみんなは優しかったんだと思う。噂は立っていたらしいけど、僕に対してなにかを言ってくることはなかったですね。
同級生の子の家に行っちゃった以外にも、成城学園の駅前で母親と布教活動をしているところを何組かの同級生から声を掛けられたりしてたので。「なにしてんだよ?」「なんでネクタイしてんの?」とか聞かれて。そういうのもあって、なんとなくみんなもわかっていたんでしょうね。