院長先生に呼ばれて「お母さん、わりと大変な状況なんだよ」「輸血すれば延命できるけど」という話をされたこともありましたけど、「はい、はい」と答えるしかなかったですね。「無理やり輸血してください」なんて、とても言える状況じゃなかったです。
教団の人たちが、しょっちゅう病院に来てましたし。母の病室に教団の人が入ってきたら、僕はすぐに部屋を出る。排斥されたから、なにも言えなかったですしね。
親の葬儀なのに、参加できない
ーーお母様が亡くなったのは。
関口 僕が20歳のときです。しかも成人式の日。父は小学校の入学式の日に亡くなって、母は成人式の日に亡くなるっていうね。
ーー葬儀は教団のほうで?
関口 そうなんですけど、僕は排斥された身なので呼ばれなかった。教会で母の写真だけを置いてやったみたいでした。どんな形式であれ、親の葬儀なので出たかったですけどね。
ただ、親族だけでちゃんと火葬場に行って納骨はしました。僕が母の骨壷を持って車の助手席に乗って、家に戻って。あれ、ものすごく熱いんですよね。それを膝に抱えて。あのときは……なんだろうな。ものすごい喪失感を感じましたね。
ーー毎日新聞のインタビューでは「輸血を受け入れてもらい、1日でも2日でも一緒にいたかった。教団に母親を奪われたように感じた」と仰っています。こうした思いは、いつぐらいに芽生えたのでしょう。
関口 日々弱っていくのに信仰を続ける母の姿を見て「なんでだろう」といった、怒りと疑問の入り混じったような感情があって。それは、がんがわかってからずっと抱いていましたね。そして、その感情はどうしても教団のほうに向かってしまうんです。
ーー同じインタビューで「『自分が熱心に信仰せず、排斥されたから母に悪いことが起きたのかもしれない』との思いを抱き続けた」とも。
関口 せめて母が亡くなるまでは、嘘をついてでも教団に忠誠を誓っていればよかったのかなとも思いました。でも、それはできない自分もやっぱりいたので。
そういうのがトラウマとして残っているところもありますよ。いまだに夢を見ますしね。
ーー夢の内容は。
関口 いつも見るのは、自分が非常につらい立場に置かれていたり、なにかひどい目に遭ったりする夢。たとえば、僕が断崖絶壁に立たされているとかね。で、夢全体に母の印象が強くあって、ときどき父の印象もあるんです。
うなされて起きるたびに、グッタリします。「まだ、抜けられないのか?」みたいな。