もう「とんでもないことをした」という雰囲気。その頃には教団に対する疑問もいろいろと持っていたのですが、母を悲しませたくない気持ちがかなりあったので、長老の話はおとなしく聞いていました。
中学卒業の1年後、「もう教会に行かない」と宣言
ーーその後、中学を卒業しますが、「悪い交わりが増える」からと高校進学は許してもらえなかったそうですね。
関口 そうです。教団と母から、中学卒業後は集会に行ったり、伝道活動に没頭したりしなさいと言われたんですね。「これからはこれだけやっていればいいから」みたいな。ただ、伝道活動だけだと時間が余るから、余った時間でヤンキーの友達と会ったりしていましたね。
あと、新宿の名画座に通い詰めて映画を観まくったり、家では音楽はクラシックぐらいしか許してもらえなかったので、友達の家に行ってロックのレコードを聴いたり、レコードを借りてこっそり聴いたりして。
でも、やっぱり学校には行きたかったので、中学を出て1年が経ったときに母親に「学校に行きたいんだけど」と言いました。「バイトもしたいし、今みたいな感じではやってられないから」「もう教会には行かないよ。訪問布教とかもやめるから」って宣言したんです。
ーーお母様はどのような反応を。
関口 ただただショックというか。愕然とした顔をしてました。
でも、実は前兆があったんですよ。あるとき、母と僕が家にいるときに、洗剤かなんか手にしたおじさんが「うちの新聞に入ってくださいよ」と新聞の勧誘に来て。
僕が出て、「結構です」「いやいや、そこをなんとか」とやり合っているうちに、だんだん、勧誘のおじさんに対する感情というより、母に対する反抗みたいな気持ちが湧いてきちゃったんです。それで、いままで母に聞かせたことのない言葉や見せたことのない態度で、勧誘のおじさんをけんもほろろに追い返したんですね。
それを目にしていた母は、言葉を失っていましたね。その頃には、母の背を抜くか抜かないかくらいに身体も大きくなっていて、髪も髭も伸ばすようになっていた。それも相俟って、母は「息子が変わっちゃった」と感じたんじゃないかと。
ーー訪問布教していた自分と、新聞の拡張員が重なって見えて、感情が爆発したようなところは?
関口 それもあったかもしれないですね。僕の爆発した怒りに、母も何か感じ取っていたとも思うし。
「もう教会には行かないよ」と宣言したのは、その新聞事件の後だったんですよ。だから、言うのは楽でした。