その次に来たのは100円ショップ。Aは店舗に入ってすぐに、立ち止まった。そして、棚にかけてある商品の帽子を手に取るやいなや、ひょいっと頭に被って、そのまま歩き出した。遠目には少し不思議な光景だが、 刑務所では着帽の習慣がある。帽子はAの人生になじみ深いもの。だから、ないと落ち着かないのかもしれない。ここでは帽子や洗面具、自室用のゴミ箱などを買った。
この日の買い物で使ったのは、1万円ほど。この費用は、Aが61年の間に刑務作業の作業報酬金として積み立ててきた273万円の中から支払われた。
帰り道の車内、そして施設に戻った後の夕食のとき、Aは購入した帽子をずっと被ったままだった。夕食が終わって部屋に向かおうと食堂から出たとき、Aはようやく脱帽をして一礼した。「ここではそんなことしなくていいですよ」と社長は笑顔で言った。
仮釈放されても無期懲役の効果は死ぬまで続く
「Aさん、おはようございます。朝ですよ」
翌朝、午前7時。前日は私も施設の空き部屋に泊まらせてもらい、起床時間に合わせて、施設の職員とともに2階にあるAの部屋を訪れた。扉を開けると、Aは慌てるようにして起き上がり、すかさずベッドの上で正座をした。職員がカーテンを開ける間も、その姿勢のままじっとしている。
刑務所では、刑務官が朝の点呼に来るのを受刑者は座って待っているのが決まりだ。例に漏れずAもそうだったらしい。施設の職員から「下に行って顔を洗いましょうか?」と言われるまで立ち上がることはなく、1階に降りて顔を洗い終わっても、今度は職員に対し、直立で一礼していた。
この日は秋晴れだった。だが、その澄み切った空とは対照的に、これから始まる社会生活のゆく先は前途多難で、雲がかかっているかのようだった。
無期懲役は有期刑と違い、刑期に終わりはない。たとえ仮釈放されても、保護観察という制度により国の監督下に置かれる。生活には様々な制限があるため、完全な釈放とは言い切れない。刑の効果は死ぬまで続くのである。
「自由が、まだわからん」
Aが出所してもなお、服役を引きずっていることを象徴する会話があった。
食堂にいるAに対して社長が「ここと前にいた刑務所とどっちが良いか」と尋ねたときのことだった。Aは良いとも悪いとも言わず、「これからしばらく考えて、見たり聞いたり習ったりしながら」と答え、「また“仕事”かなんかあるんかな、と思って」と続けた。
社長は不思議そうに「仕事がしたいの?」と尋ねる。Aは間髪入れずに「そういうのここであるんか?」と聞くが、社長は「基本的にはない」と答える。
それもそのはず。高齢者向けに住む部屋をサービスとして提供する老人ホームで、入所者に労働を強いるなど、おかしな話だ。だが、Aは真面目に尋ねているのである。Aのいう「仕事」とは一般的な職業ではなく、「刑務作業」という意味なのだ。刑務作業がない不安をAは訴えていたのだった。
そこで、社長は問いかけた。
「でもその代わり、Aさんに自由はあるでしょ? 今、自由じゃない?」
Aは首をかしげながら答えた。
「自由って言って……まだわからん。どういうのが自由かがね、まだわからん」