書かれた文章を理解することはできるようだが…
会話が難しい中、私たち取材班はAに文章を書いてもらうことで、その心情に迫ろうとも考えた。職員の協力も得てノート1冊を渡し、日記のように記録を書いてもらえないかと促したのだった。
だが、やってみると数日と続かなかった。
なぜなら、Aは文章がほとんど書けなかったのだ。
書かれた文章を理解することはできるようだが、自発的に書くことは難しいようだ。職員から1日の出来事などを試しに書くよう勧められたときも、文字を何度も何度もなぞるようにしてようやくこう書いた。
「ゴハンおいしカつた。洗タク多ミ」 (原文ママ)
文章が書けないということは、おそらく刑務所内で日記や記録はつけていないのだろう。
家族や知人と手紙をやりとりした痕跡も見られない。教育を十分に受けていないのだろうか。依然として、過去についてはほとんどが謎に包まれた状態が続いていた。
職員の視点と取材班の視点 その大きな違い
では、毎日接している施設の職員にはAの姿がどう映っているのだろうか。ある女性職員の1人は次のように話した。
「Aさんの印象ですか? 第一印象は“可愛いおじいさん”だなって。物静かな感じですかね。でも、こちらの表情に合わせて、にこって笑ってくれるし、優しそうだなと。最初はぎちぎちに固まっていたんですけども、少し慣れてきたみたいで。朝の身支度は覚えてくれましたね。ただ、日中、他の人との会話がないから、退屈させないようにするにはどうするのがいいのかが、今の課題ですね」
Aの日常生活の支援を最優先で考える職員の視点と、Aの人生そのものに迫りたい私たち取材班の視点は大きく違う。だから、その印象や抱える課題も異なっているのも当然だが、私たちは職員と比べて、もどかしさを感じてしまっていた。(#2に続く)