60年前からあったジャニー氏の性虐待
「報道特集」は60年前のジャニー氏の性加害疑惑を知る人物として、79歳の秋本勇蔵さんを取材している。現役の演歌歌手として活動しながら都内でカラオケ教室を開いている人物だ。
彼はジャニーズ事務所(1975年設立)ができる前の1962年にジャニー喜多川氏と出会っている。場所は東京・豊島区にあった新芸能学院というタレント養成所。当時18歳だった秋本さんはここに住み込み、歌を学んでいた。新芸能学院の経営者だった名和太郎氏とつながりがあった当時30歳のジャニー喜多川氏も出入りしていたという。ジャニー氏は自身が作った野球チームの少年たちを新芸能学院に連れていった。後にデビューする4人組グループ(初代の)「ジャニーズ」だ。
同世代の4人組と一緒に泊まり込みでレッスンに励んでいた秋本さん。1人で寝ていた、ある夜のことを回想している。
(秋本勇蔵さん)
「3畳の部屋に寝ていたら、すーっと布団に入ってくる人がいて、僕は体を触られるのがすごく嫌なタイプで『何するんだ』とバーッと蹴飛ばしてギャーギャー騒いで、向こう(ジャニーさん)はもうびっくりして、その程度しか覚えていないですね」
当時18歳だった秋本さんが寝ていたところ、何もいわずに体に触ってきたという。
秋本さんは被害を免れたが、被害にあった少年が他にもいたと名和社長から聞いた。名和社長は怒り、ジャニー氏を追い出そうとした。ジャニー氏はジャニーズの4人を引き連れて独立したという。
その後、金銭問題をめぐる裁判に発展。名和社長はジャニー氏に対して「教授料などを払え」という裁判を起こした。ジャニー氏の性加害についても取り上げられた。このあたりの経緯は、誌面が写し出される「週刊サンケイ」(1965年3月29日号)がネタ元だ。
「私は裁判で嘘の証言をしてしまいました」
報道によると、1967年、東京地裁で行われた証人尋問には人気絶頂だった初代ジャニーズの4人も出廷した。4人は「覚えてません」と性被害の事実を否定したのだ。
1968年、東京地裁は「証拠がない」として性加害を認定しなかった。
ところが20年以上経って、メンバーの一人、中谷良さんは出版した書籍『ジャニーズの逆襲』の中でこの裁判について振り返り、嘘の証言をしたと告白している。
(元「ジャニーズ」中谷良さんの文章)
「事前に答弁の言葉は決められていました。今だからこそ言える。いや、言わなくてはならない。私は裁判で嘘の証言をしてしまいました」