「職探しはすぐに始めたのですが、9月にリーマンショックが起こってしまって、なかなか上手くいきませんでした」
同業他社に拾ってもらえそうな雰囲気だったのが「ちょっと待ってくれ」ということになり、半月後にこの話はなかったことにすると言われておしまい。失業手当が終了した後はコンビニ、ディスカウントストア、飲食店などでアルバイトをすることになった。
「ハローワークには定期的に通い、何社かは面接を受けれたのですが採用してくれるところはなかった。こんな感じで30歳になってしまって。こうなるともう製造業派遣に流れるしかありません」
流されて派遣工
正社員の採用は厳しかったが、派遣会社の採用は何とも簡単。たった10分の面接で即採用だった。
「全国あちこちに回される工場ジプシーみたいなのは嫌だったし、派遣会社の寮で知らない人と相部屋で暮らすのも嫌。なので自宅アパートから通えるところにしてくれと頼んだんです」
これでは無理かなと思ったが、自宅アパートは京浜工業地帯の川崎市内。大手の工場ではなかったが下請け、協力会社の求人が多数あってすぐに働けた。
「ただし時給は低い設定でしたね。仮定の話ですが大企業の工場に派遣された場合は時給1200円。だけど子会社とか下請けの工場だと1100円という具合です」
1日8時間で月20日稼働の場合、これだけで1万6000円も違うが、自宅アパートから通えるので目をつぶった。
「最初に派遣されたのは精密機器工場で、その後は電子部品工場、プラスチック加工工場、塗料工場などに回されました」
勤務地は川崎市内か対岸の大田区。多摩川沿いとか昭和島、城南島で遠くても40分ぐらいで通えるところだったので助かった。
「時給はずっと1100円に固定されていました。3月、4月は新聞やテレビで春闘のことを取り上げるけど派遣工ではまったく関係なかった」
収入はどれくらいだったかというと、1日8時間に残業1時間、土曜日に8時間勤務を2回やったとして月収約22万円。手取りだと18万円ちょっと。
「下請けだと年末は29日まで。ゴールデンウィークやお盆休みも関係ありませんからね。休みが多くて極端に収入が減るということはありませんでした」
年収は270万円前後で12月には年末調整で4万円ぐらい戻ってくる。こんな感じでどうにか暮らしていた。
「生活できないほどじゃないけど豊かな暮らしは無理。それでも仕事がないよりはマシという感じです。上手くできた仕組みだと思いますね」