身長167センチという共通点…サイズがなくても打者を抑え込んできた投手の伝統
山本拓は、谷元と同じ身長167センチ。この世界では圧倒的な武器となるサイズで言えば、恵まれていない。ちょっと調べてみると、2人は一緒に自主トレを行っていたことがわかった。それも、15歳も年下の山本拓から申し出たのだという。
谷元は投球に関する工夫に関して、妥協のない男だった。オフになると、毎年変わった練習をしていた。先が足袋のように2つに割れたシューズを履いていたのを見せてくれたし、台車に重いものを載せてグラウンドで押しまくっていた時には「お相撲さんみたいなもんですよ。どれだけ稽古したかで、最後土俵を割るかが決まる」なんて言っていた。対戦するのは、自分より大きな打者ばかり。どう料理するか、知恵を絞っていた。山本拓もきっと自主トレで様々な学びがあり、フォームも振る舞いも似てきたのだろう。
周りを見る力に長け、度胸の良さも常人のレベルではなかった谷元。西武戦でリリーフした時だったか、満塁からまともなストライクを1球も投げずに、抑え切ったことがあった。それでもまるで「普通ですよ」と言わんばかりの顔をしていたものだ。選手が序盤で崩れた試合、1回から準備して投げたのは延長に入ってからということもあった。その時も「しんどいですけどね……それが仕事なんで」と口にしていた。丸刈りで一見とっつきにくい風貌も含め、職人という言葉がぴったりだと思っていた。
最初に伝統と言ったのには、わけがある。谷元がここまで冷静にマウンドに立てるようになったのは、さらに「先代」がいたからだった。通算534試合登板で167セーブ、107ホールドを残した武田久だ。最多セーブ3回、最優秀中継ぎ1度の実績はまさに超一流。武田久は「相手より1点少なく抑えればいいんだから」とよく言っていた。どんな過程を経ようが、チームの力になれればいい。そうして2009年、2012年と優勝チームのクローザーとなった。
谷元もまた、日本一になった2016年、日本シリーズ第6戦の9回を締め、胴上げ投手となった。そのオフ、背番号が48から22に若くなった時に言っていた。「やっぱり、久さんの21が欲しいんです。それまでは48でいいと思っていたんですけどね……」。夢は叶わず、中日に去った。そして山本拓と出会った。
そういえば、1991年に最優秀救援投手のタイトルを獲得し、その後は先発としても活躍した武田一浩も、身長171センチという小兵だった。日本ハムに流れる「小さな勝負師」の血脈を、山本拓も継いでくれるはず。どんな投手に成長していくのか、楽しみでならない。
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