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 私など、刀といえば、主に江戸時代を描く時代劇のチャンバラのシーンがまず思い浮かぶが、武器として使われたのは、戦国時代に鉄砲が入る前のことらしい。それ以降の戦さの道具は鉄砲になった。刀は、いざというときに使えることは前提とするものの、武士道精神のよりどころとして扱われてきたと吉原さんは言う。

刀剣不遇時代を超えて

「先祖は、江戸時代から筑波山(茨城県)の麓の鍛冶屋でした。明治生まれの祖父が大正時代に東京へ出てきて、腕利きの刃物鍛冶として名が知られるようになった。すると、刃物鍛冶の最高峰といえる刀鍛冶を目指したくなる。軍国主義が進み、日本刀が見直されていた昭和の初期です。祖父は刀の世界でも有名になったんです」

 明治初期に発布された廃刀令によって表舞台から消えた刀が、昭和初期の軍国主義下で復興する。江戸期と同様、男たちが心のよりどころとして所有したがったためだそう。したがって、吉原さんの祖父は刀鍛冶として大いに活躍する。ところが敗戦後、GHQによって作刀そのものが禁止され、工具をつくる鉄工所への転向を余儀なくされたが、サンフランシスコ講和条約発効の翌1953年に、美術品として作刀が認められる。祖父は面目躍如。鉄工所の一隅で、刀づくりを再開したのだという。

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刃文を確かめる吉原さん。光の当て方で、鋼の肌に繊細な文様が浮かび上がる。

「その頃、私は小学校4、5年生。祖父が毎日のように火床(ほど)で鞴(ふいご)を吹かせてくれましてねえ。1300度を超えると、鋼からグツグツグツという音が聞こえてくるんです。

鉄瓶でお茶を沸かしたときのような、なんともいい音。子どもながら、私はその音を無性に好きになって……」

 日本刀の原料は、日本古来のたたら製鉄によって精錬された「玉鋼(たまはがね)」という鋼鉄。

玉鋼に含まれる炭素の含有量によって硬さや質にばらつきがある。その違いは断面の割れ具合、色味、粒子の細かさなどに現れるが、長年の経験によって分かるという

 刀づくりは、玉鋼を薄く打ち延ばし、小割りにすることから始まる。鞴とは、縦笛のような形の送風器である。鞴を吹くのは、火床に小割りの鋼を積み上げ、1つの塊となるまで熱す「積み沸かし」という次の工程で。グツグツグツは、鋼に含まれる炭素など不純物が溶けて流れ出てくる音。耳を澄まし、鋼を火床から取り出して「折り返し鍛錬」を10回以上も繰り返す、非常に重要な工程だという。