かつて職人の世界では「弟子は師匠の背中を見て覚える」が当たり前だった。しかし、最近では時代の流れに合わせて「背中も見せるが、口でも教える。理論も説いて教える」というスタイルに変化してきているそうだ。

 ここでは、一子相伝でなく血縁以外に門戸を開いている師匠と弟子の“リアル”な関係を、16組32名に取材した『師弟百景』(辰巳出版)より一部を抜粋。かつては全員が男性だったという江戸小紋染職人の世界に弟子入りした西條しのぶさんと、師匠・富田篤さんの師弟関係を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

富田篤さん(右)と西條しのぶさん(左)

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香り立ち込める「板場」で

 東京都新宿区西早稲田。桜並木の神田川沿いの住宅地の中に、どっしりとした木造・瓦屋根の建物が目を引く。前庭にぶどうの木が茂り、戸口には大きく「染」の一文字が入った暖簾が掛かっている。江戸小紋などを生み出す株式会社富田染工芸の染物工房だ。明治期に浅草で創業し、1914(大正3)年にここへ移ったという。

 引き戸を開けて入ると、えも言われぬ匂いが漂っていた。木と染料が合わさったような芳香だ。年季のたっぷり入った空間に、6、7メートルほどの長さの一枚板の作業台が、人ひとりが通れるほどの幅をおいて4つ平行に並んでいる。型紙から模様をつける、最も重要な「型付け」作業がおこなわれる「板場」と呼ぶ作業場だった。

「伊勢型紙という繊細な型紙を用いて、コツコツと手作業なんですよ」

 と、迎えてくださった社長の富田篤さんがおっしゃる。

 数々の美しい反物が飾られた壁際のウインドーの一隅に、なぜか宇野千代さん(1897~1996)の紫色の着物姿の写真が一葉。着物デザイナーや実業家としても活躍し、華々しい恋愛遍歴でも知られた作家だ。

「宇野千代先生は祖母の友だちだったんです。先生がお召しになった着物はすべて弊社が染めたものでした」と富田さん。大正~昭和初期に究極のモダンガールだった、あの宇野千代さんをして熱烈ファンにならしめたとは。

 小紋には、他に京小紋、加賀小紋があるうち、江戸小紋は柄が最も細かい。遠目には無地に見え、近づくと細かな柄が認められるのが特徴だ。お洒落着としてのみならず、一つ紋を入れると色無地紋付と同格とされるのは承知のとおりである。

富田染工芸の江戸小紋。宇野千代も好んだ繊細な文様ばかり

〈原型は、江戸時代の武士の公服だった裃(かみしも)。全国の大名が江戸城に登城する際、紋付の裃を着用する決まりだったが、紋だけではどこの大名だか識別できないため、各々の藩が特定の柄をシンボルに入れることとなった。