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アフロにロングスカートの女子大生

 さて、どんな職人が江戸小紋などの染めを担ってきたのか。

「かつては全員が男性。集団就職で上京し、15歳から働き始めた人たちでした」と富田さん。その風向きが変わったのは、30年ほど前。「弟子入りしたい」と女性が飛び込んでくるようになってからだ。地色染め、蒸し、水洗いなどの工程があり、いずれも物理的に力が必要。とりわけ板場での「型付け」作業では、生地を張り付けた30キロもの一枚板を何度も上げ下げしなければならない。女性の体力では無理だろうと危惧したが、熱意に押されて採用してみると、「意外と大丈夫」だった。今、約20人の職人がいるうち、過半数が女性だそうだ。

6~7メートルの一枚板を上げる西條さん。反物を張った板を頭上にいくつも並べ、乾かしながら一人で10枚もの反物に糊を置いていく。たびたびの上げ下ろしに、女性の職人は無理だと考えられていた。

 大学生のときに見習いとして働き始めたという西條しのぶさんが言う。

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「大学での専攻は立体造形だったんですが、染色に興味を持って。アンテナを張っていると、友人がここを教えてくれました。会ってくださった社長が『う~ん、筆の立つ人と立たない人がいるからなあ』とおっしゃり、おろおろしたことを覚えています」

 筆の立つ、立たない? どういうことか。

「一人前になるのに10年以上かかる。この仕事に向いていなかったら、長い時間を無駄にし、かわいそうだけど、どうだろう」との意味だったと富田さんが明かしてくれ、「あのとき、西條くんはアフロヘアに、床まで届くロングスカート姿。個性的すぎて、びっくりしましたよ」と笑う。

「最初のうち、戸惑いの連続でした。先輩たちは自分の仕事に集中してらっしゃるから、質問できる雰囲気でなくて。でも、そのうちに『これ、やっといて』と桶洗いを命じられ、必死でやりました」(西條さん) 

 糊が入っていた桶だ。少しでも洗い残しがあると、次に入れる糊と混ざり、大変なことになるわけで、「大事な仕事を回してもらった」と来る日も来る日も桶を洗う。