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やったもん勝ち、の師弟関係

 羽岡さんが弟子入りしたきっかけはこう。

「高校生のとき、テレビの情報番組『アド街ック天国』に、この鍛錬所が登場していたのを見て、今どき、うちの近くにこんな古い仕事をやっているところがあるのかと驚きました。かっこいいな、と思ったんです」

 羽岡さんの自宅は、ここから2キロほどだ。父が大工。工業高校の建築科に学んでいたが、「実は高い所に上るのが苦手。だから大工は向かないな……」。刀というより、ものづくりの観点から興味を持ったそうだ。ネット検索して見つけた刀剣博物館(東京都墨田区)に足を運んで、初めて本物の刀を目にしたとき、胸が高鳴った。つくり方のリサーチもした。手作業の積み重ねを「面白そう」と思った。どうしたら弟子入りできるのだろう。思い余って、高校を卒業した春、吉原さん宅に自転車を走らせたという。

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「ノーアポで訪ねると、師匠がたまたま庭にいらっしゃったので、『弟子入りさせてください』といきなり申し上げたんです。『あらかじめ電話して、出直してきて』と言われ、やり直しました(笑)」

鞴を吹く羽岡さん

 入門時、兄弟子が4人いた。誰かに言われたわけではないが、弟子入り当初、一番早く朝8時半に鍛錬所に来て、率先して掃除し、師匠や兄弟子が仕事をしやすいように道具を整えた。最初に与えられたのは、炭を3センチ四方に鉈(なた)で切る仕事だった。

 まったく無給なのだそうだ。鍛冶の厳しい修業を指して「炭切り3年、向こう鎚(づち)5年、沸かし一生」という言葉があるらしい。しかし、羽岡さんは「刀の世界では(無給は)当たり前。夜、コンビニでバイトしているので、大丈夫です」と言うし、「師匠は優しかった。『仕事はやらなきゃ上手くならないから、やったもん勝ちだよ』と言ってくださった」と振り返る。「背中を見て覚える」と「無謀でもやってみて覚える」の両方の“いいとこどり”した師弟関係が功を奏したのだろう。5年後、羽岡さんは、刀匠の資格試験(文化庁)に一発合格した。

 

 公益財団法人日本美術刀剣保存協会主催の「現代刀職展(旧新作名刀展)」で、すでに努力賞を4度受賞している。しかし、上位賞の受賞を果たさなければ、作刀依頼が来る可能性は低いという厳しい業界。独立は「まだまだ早い」と自戒している。

「目指すは、派手だが品のある刀」と羽岡さんは言う。しかし、その「派手」や「品」という感覚を数値化したり言語化したりするのは不可能な、手仕事芸術の世界。

「師匠は、『形』に対するセンスがずばぬけていらっしゃる。今も(鋼を)叩くとき『ちょっとここ取ってみな』とアドバイスをもらいます。そうすると、スッとした形に変わったり、全然違うモノになったりするんです。すごいんですよ」

 吉原さんへのリスペクトの言葉を何度も聞いた。

撮影◎川本聖哉