知能テストは、誕生するやいなや優生思想の道具となった。ビネー自身は優生思想を持っていたわけではないが、アメリカの優生主義者は、「劣った」とされる人種をあぶり出す技術として知能テストを利用した。
黒人や移民に不利な設問を用いることで「軽愚」というレッテルを貼ったのだ。教育がまだ普及していない当時、学校に通える恵まれた白人以外は、知能検査に答えることはできない。学校教育の権利が保障されていない黒人や英語が苦手な移民の検査結果は当然低くなる。
これはなにも過去だけの話ではない。現在の日本での発達障害の増加は、知能テストを過剰に行うこととも関係していそうだ。知能テストによって発達のばらつきが判定されうるとみなされているからだ。
「発達障害」という名称を手にしたことで救われる人も少なくはないが、安易に「発達障害」というラベルを子どもに貼ることで集団になじまないというレッテルを貼り、「特別支援学級」への移行や、「放課後等デイサービス」の利用を勧め、分断を生んでいる側面はないだろうか。クラスになじみにくいのは子ども自身の特性ゆえになのだろうか。管理された大人数の教室が居心地を悪くしていることはないだろうか。
「劣った」とされる人々の生殖能力を奪うことを計画
アメリカの優生主義者は、断種によって「劣った」とされる人々の生殖能力を奪うことを計画した。その最初の標的となった知的障害を持つ白人女性であるキャリー・バックは、最高裁判所において1927年に断種が決定されている。その後、アメリカでは広範な断種手術が行われるようになり、1940年までには3万5878人の男女が断種または去勢されたという。
先ほどの新聞報道からもわかる通り、日本にとっても他人事ごとではない。歴史的にも、「らい予防法」のもとで多くのハンセン病患者が断種・不妊手術を受け、優生保護法のもとで戦後も多くの障害者が強制不妊手術を受けた。ハンセン病は厳しい差別の対象となったが、知性に障害が出るわけでもなく、致死的な病でもない。1943年に特効薬が発明されてからは全治する病だ。旧優生保護法のもとで多数の障害者が不妊手術を強制されたことに対する裁判は現在も続いている。
現在の日本でも、新型出生前診断でダウン症などの障害が推定された胎児の90%は人工妊娠中絶で死産されていると言われる。その理由としては「障害を持って生まれる子どもがかわいそう」「育てる自信がない」といったことがあげられる。社会全体として障害を持った人に対する偏見があるゆえに、妊婦をかわいそうと思うのだ。あすなろ福祉会における断種手術の強要もこのような優生主義に由来する。