1ページ目から読む
2/4ページ目

 今振り返っても、春と夏の2回の甲子園出場を果たせたのは、僕の財産となっています。よく「春に甲子園に行って天狗にならなかったのですか?」と聞かれたのですが、僕には「夏の甲子園出場を目指す」のと同時に、「1年の夏に見た斉藤さんに並んで超えること」を目標に置いて練習を積んできました。天狗になる考えと時間などなかったというのが正直なところでした。

 その結果、この年のドラフトの目玉と言われる存在にまで成長できたことは、僕にとって大きな自信となりました。

ドラフト会議では仰木彬監督が1位での抽選を引き当て、川口氏の交渉権を手にした ©️文藝春秋

 この年の秋のドラフトで、僕はオリックスから1位指名を受けました。この年のドラフト1位の12人のうちの1人に選ばれたということは、正直なところ光栄な気持ちでいっぱいでした。

ADVERTISEMENT

 同時にプロのレベルというのは一体どれほどのものなのか、まったく見当がつきませんでした。高校とは比べものにならないほどレベルが高いことくらいは想像できましたが、いったいどれほどまでのものなのか、僕はこの目でしっかりと見てみたいという好奇心もあったのです。

1年目のキャンプで「とんでもない世界に来ちゃったな」

 いざ入ってみると、僕の想像をはるかに超えていました。体力や技術もさることながら、守備においてのムダのない動き、投手のストレートのキレや変化球の精度、コントロールの良さなど、すべてが異次元でした。

1997年10月26日「高校最後の公式戦を終え、、記者会見でプロ入りを表明する平安の川口知哉選手=26日午後、大阪ドーム」©️共同通信社

「とんでもない世界に来ちゃったな」

 というのが、プロ入り1年目での春季キャンプの印象でした。

 それに一流の選手ほど、毎日「これは必ずやる」とルーティーンにしていることを徹底的に行っていることも知りました。イチローさん、田口壮さん、谷佳知さん……一軍でレギュラーとしてバリバリ活躍している人ほどそれが顕著に表れていて、「妥協」という言葉とはまったく無縁な人たちでした。