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 一方で僕は、入団1年目から投球フォームの改造を、当時の二軍の投手コーチからアドバイスされていました。僕の投球フォームは、軸足となる左ひざを「折る」という動きを入れてから左腕を振り上げていくというのが特徴でした。ところがコーチから提案があったのが、「左ひざを折るという動きをなくした投球フォーム作り」。この改造によって、上半身と下半身を連動させた体の使い方がまったくつかめなくなりました。

オリックス時代の川口氏 ©️共同通信社

 しばらくしてから、僕は左肩を痛めました。4連投した夏の甲子園の決勝のときでも、左肩が張るようなことはあっても、痛くなるようなことはなかった。それだけに生命線となる左肩を痛めたという事実は、僕にとって少なからずショックがありました。

「『川口はコーチの言うことを聞かない』という報道もありましたが…」

 フォームの改造がうまくいかず、入団2年目に入ってから投手コーチと再度話し合った結果、「元の投球フォームに戻す」ことにしました。高校時代に結果を出していたフォームのほうが、僕も立ち直るきっかけを早くつかめると判断したからでした。

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 けれども現実は無残でした。いざ元のフォームに戻そうと思っても、一向に戻らないのです。左肩を痛めたことで腕のしなりがなくなり、左ひざを折ってから腕を振り上げようとすると、それまでと同じように上がらなくなってしまう。シャドーピッチングではうまくできていたのですが、ボールを持った途端にまったくできなくなってしまうのです。

 この頃は高校時代のビデオを何度も何度も見返していました。頭ではイメージできるのですが、身体がどうにもついていかない。ブルペンに入って投げれば1球投げるごとに違和感の連続で、ときには隣の捕手のところに投げてしまうこともあるほどでした。

©️上野裕二

 投球フォームの模索を続けていた当時、「川口はコーチの言うことを聞かない」という報道も目にしていましたが、実際は違います。「コーチの言うことを聞いても、体が思うように動いてくれなかった」というのが真相です。

 投げれば投げるほどフォームがめちゃくちゃになっていく――。野球に対して面白さを感じず、向上心がまったくありませんでした。ピッチング練習をやればやるほど、下手くそになっていく自分に嫌気がさしていたのですから、面白さなんてあったものじゃありません。