日本中を歓喜の渦に巻き込んだ侍ジャパンのWBC優勝から約4ヵ月。栗山英樹氏は、WBC日本代表監督に任命されてから優勝するまでの日々を振り返った著書『栗山ノート2』(光文社)を上梓した。
あの激闘の裏でいったい栗山氏は何を考え、選手たちとどのようにコミュニケーションをとっていたのか。ここでは、同書を抜粋し、栗山氏とダルビッシュ有、そして、大谷翔平とのやり取りを紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり
アメリカ入り後2日目は、大学で練習をしました。この日は時差調整ということもあり、久しぶりにゆったりと練習を楽しめる雰囲気がありました。ここまで来たらやるだけだ、という良い意味での割り切りが、選手たちの身体と気持ちをほぐしているように感じました。
翌19日は、大会の舞台となるローンデポ・パークでの前日練習でした。
私自身には、はっきりさせておかなければいけないことがありました。
まずは、ダルビッシュ有についてです。
メジャーリーガーでありながら宮崎キャンプからチームに合流して、自分の調整よりもチームメイトのために多くの時間を割いて、ここまで侍ジャパンを牽引してきてくれました。彼はサンディエゴ・パドレスで先発ローテーションの柱になる存在で、本来なら登板するごとに球数を増やしていく時期です。しかし、先発した韓国戦で48球、4番手で登板したイタリア戦は27球と、メジャーリーグの開幕を見据えると調整は十分ではありません。
ダル自身は「ブルペンで球数を投げています。大丈夫です」と言ってくれていましたが、彼自身の23年シーズンについても考えなければなりません。
チームの精神的支柱を失っても、本人の決断を優先させる
時計の針を数週間前に戻します。
宮崎キャンプから名古屋へ向かうタイミングで、パドレスの開幕投手の候補だったジョー・マスグローブがトレーニング中に骨折したとの情報がもたらされました。
ダルとマスグローブは、先発の二枚看板です。チームから連絡を受けた彼は、自分までいなかったらローテーションが回らないと考え、侍ジャパンを離れる可能性について相談をしてきたのでした。