物語は“いつものRPG”に収束してしまう
いまや、ビデオゲームはほかの文化と肩を並べるような状況になっている。現実の大きな問題を取り入れた作品は当たり前のように存在しており、それで成功することもありえる状況だ。もちろん、映画や小説など他の文化でも同様の行為はよく見られるだろう。
たとえば「The Last of Us」シリーズは、滅びかけた世界で、異性愛・同性愛・家族愛といったすべての愛を描き、それによって人々が争ってしまう様子を描いている。
近年の「ゴッド・オブ・ウォー」シリーズでは、父と子の関係性を描いている。本シリーズの主人公は最強の力を持った「クレイトス」なのだが、そんな彼に息子ができ、それによってさまざまな変化が起こるといった物語が描かれるわけだ。
インディーゲームでも、現実の問題を取り上げた作品が多数存在する。3人の女友達が温泉に行くことをきっかけに、ジェンダーに関する悩みが描かれる『A YEAR OF SPRINGS』。戦争に巻き込まれた一般人としての生活を描く『This War of Mine』など。現実の問題を取り入れたビデオゲームは、すでにたくさん存在しているわけだ。
このような状況を鑑みると、『FF16』の物語は軽く見えてしまう可能性がある。海外メディアのEurogamerは、北アフリカや中東などをモチーフにした町があるのに黒人や有色人種がいない本作の設定を空虚と表現している。IGN JAPANでは、「ベアラー関連のやり取りや設定は、ヴァリスゼアと私達の生きる世界がまったく別物であると明確に示し、感情移入を阻害する要素」と記している。
また、メディアレビューではあまり見かけないが、ユーザーの感想では「物語の前半はよかったが、後半はあんまり」といった意見をしばしば目にする。これについても、上記の設定が関係している可能性が考えられる。
詳しくはネタバレになるので曖昧に書くが、『FF16』のストーリーの骨子は「運命に翻弄される人類とそれに抗うための戦い」で、これが物語の後半で明らかになる。実はこの展開、レトロなRPGとかなり近いものがある。