ある親子は奴隷にモンスターをけしかけて殺して遊んでおり、それを主人公に非難されると「ベアラーはさっさと死んで餌になっていればいいんだ」などと言い出す。これ自体は奴隷の置かれている悲惨な状況を描くという意味で理解できるのだが、問題は話のオチだ。
あまりにも雑な勧善懲悪
その後、モンスターは主人公によって討伐される。それに対して怒った親子は、また新たなモンスターを連れてこようとするものの、うまく制御できず逆に殺されてしまうという展開になるのである。
これはあまりにも雑な勧善懲悪である。差別という問題は言うまでもなく非常に複雑で、差別する側が因果応報で死ねばよいという単純な話ではない。因果応報のような考えも問題で、差別に少しでも踏み込むのであれば、ここまで簡単な答えを出すような筋書きにしてはならないだろう。
あるいは、主人公は物語が進むとマザークリスタルを破壊するテロ行為を行う。当然ながら人民に大きな被害を与えるわけだが、これに対して主人公はあまり疑問を持たない。ゲーム内ではマザークリスタルが悪であるという話はあるものの、プレイヤーに詳しい説明はなく、なぜかそれが正しいという「空気」で話が進んでしまう。
なお、本作に黒人は登場しない。KotakuやPC Gamerといった海外メディアはそれに対し批判の記事を出しており、後者は「歴史的『リアリズム』を口実に黒人キャラクターを排除した」とまで言っている。
結局のところ、『FF16』は現実の問題を意識させるような素振りをしながらも、実際にはまったく取り組んでいない。それどころか、ざっくりと残酷に処理してしまうのだ。
とはいえ、「このゲームはエンターテインメントであり、現実の問題を取り上げる必要はない」という主張もありえるだろうし、その意見も十分に理解できるだろう。では、エンターテインメントとしての『FF16』はどうあるのだろうか?