「いやぁ、給料は良かったですよ。20代後半の新入社員がもらう給料としては破格だったと思います」……たった2年働いただけで800万円を貯金したことも。それでも角幡唯介氏が朝日新聞記者の立場を捨て、探検家の道へ邁進した理由とは?
100万人超え登録YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」(※2023年5月末で動画視聴終了)の人気トーク番組を書籍化した『なんで会社辞めたんですか?』(編著:高橋弘樹、日経テレ東大学/発行:東京ニュース通信社/発売:講談社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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新人記者が黒塗りのハイヤーでサツ回り
角幡唯介(以下、角幡) 実際、新聞社に入って最初は富山支局に配属されたんですけど、3年目にダム関係の本を書きましたからね。
高橋弘樹(以下、高橋) 意外ですね。僕の中のイメージだと、角幡さんって早稲田出て朝日に入ったけれども、1年の半分くらい北極とか日が昇らないとこでずっと犬ぞりで探検してる人ってイメージで、本多勝一さんみたいに世界中探検したいのかと思ってたんです。
角幡 もちろんそれもやりたかったんですけど、本多さんの時代みたいに大掛かりな探検ルポルタージュは、もう僕の時代には新聞記事にはないですし、社会的に求められるような時代でもないですから、それはできないだろうなとは思ってました。
高橋 でも、普通に社会部ネタに興味があって新聞社に入られて、念願叶ってそれをやったわけですよね?
角幡 やったんだけど、やっぱり、一生探検をしたいというのが根底にあったんです。人生を懸けてやるとしたらそれがやりたい。でも、探検家でどうやって食っていくのかっていう問題がやっぱりあるじゃないですか。大学を卒業したときは探検家という生き方でやっていくと思って、とりあえず出たんですけど、2年間やってみて、やっぱりアルバイトに追われるわけです。みんなが通る就職活動という“関門”、社会に出るというある種のイニシエーション(通過儀礼)から逃げたという負い目みたいなものもありましたね。
それで新聞社を受けたんだけど、本当にやりたいのは探検家だって思ってたんです。たしかに新聞社にも興味があって、本も好きでしたし、それこそ本多さんの本にもすごく影響を受けてましたから、新聞記者って面白そうだなと思ったから受けて、もし本当に面白かったらずっと続けようと。そんなに面白くなかったら3年やってみて辞めるか決めようと思いました。
高橋 それくらいのテンションで入ったんですね。
角幡 そうですね。長期のバイト感覚っていうか(笑)、3年やったらそこそこお金も貯まるだろうし、新しい生き方とか、そういうのも見えてくるかなっていう感覚です。辞めてもいいかというより、たぶん辞めるけど、面白かったら続けようと思っていました。
高橋 とはいえ、2003年で朝日新聞社入社だと、給料(年収)が速攻で1000万円いくみたいな時代ですよね?