ソール・ライター(1923-2013)は、60年代から80年代にかけて、雑誌「ハーパーズ・バザー」などのファッション写真を手掛けていましたが、同時にプライベートでも沢山のストリートスナップを撮っていました。しかし、それらに脚光が当たるようになったのは21世紀になってからのこと。日本でもすぐに人気に火がつき、写真集が異例の売り上げを記録しています。
本作は、ライターの死後、財団が彼のアトリエを整理する過程で発掘した作品群の中の一枚。雨後の路上を写したもので、タイトルはありません。撮った場所は、彼が長年暮したニューヨークのイーストヴィレッジ周辺と思われます。というのも、彼の行動範囲はほぼそのあたりに限られていたからです。
「神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」(『ソール・ライターのすべて』青幻舎(2017)より)という彼の言葉の通り、本当になんでもない情景ですが、ふしぎと心惹かれるものがあります。車のミッド・センチュリーなデザインがノスタルジーを誘うのはもちろん、色の魅力や構図にも理由がありそうです。
カラー写真は70年代まで、主に商業用とみなされ、芸術写真として評価されていませんでした。ライターはそのことに反発心を持ち、色を大事な要素と捉えていました。本作はカラーだからこそ捉えられた一瞬で、白黒にすると、あるチャームポイントが消えてしまうのです。それは、タクシーのブレーキランプのオレンジ色の光と、そのちょっと下の路上に映る照り返し。緑色の車体に対し、対比的なオレンジが縦に連なり、構図のポイントになっているのですが、白黒明度の関係から道路と同化してしまっています。この点を、ぜひカラーと見比べてください。もしランプの光が真っ白なら、白黒でも暗い背景に浮かびあがって見えたでしょう。
ふしぎな魅力のもう一つの理由は、意表をついた構図にあります。ふつう何かを撮りたいと思ったら、画面の中央に明瞭に写そうとするでしょう。しかし、ライターはセオリーを無視し、あえて中心には主役を置かず、しかも輪郭がぼやけて見える手法をよくとるのです。
たとえば、邪魔になりそうな遮蔽物を大きく前景に置いて肝心の画面の主役を遠景に小さく据えたり、雨に濡れた窓越しにあえてぼやけた人物を写したりするなど。本作でも、中央部分を含めた画面の下半分を、なんの変哲もない道路が占めています。それが、普段なら見過ごしてしまう濡れた表面が生み出すテクスチャーへと注意を促してくれ、ライトの照り返しもその一つです。また、道路の轍や縁石、背景の建物の輪郭線が集まる先は、左上の小さな人物。しかしそれは主役らしくなく黒っぽくブレているので、そこだけが目立つことなく、全体にさらっとした印象を生んでいます。
このようなライターの持ち味は、ファッション写真家時代の作品にも滲み出ています。その「らしさ」を探しながら見ると一層楽しめるはずです。
INFORMATION
「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」
ヒカリエホールにて8月23日まで
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/23_saulleiter/