僕の前で突然、2歳上の従兄弟は死んだ

──子どもの頃から?

坂田 そう。僕が5歳ぐらいの頃、近所に小児麻痺で足が不自由な子がいてね。僕は病気のことを知らなかったから、本人に直接「なんで走るのが遅いの? どうしてそんな歩き方なの?」と聞いたんです。すると、その子は悲しそうに笑ってね。その罪悪感みたいなものは、今も覚えてる。

 あと、これも子どもの頃だけど、2つ上の従兄弟が、オートバイにはねられて亡くなったんです。宣伝カーがチラシを配りに来たから、従兄弟と見に行ったのね。で、僕が夢中でチラシを拾ってたら、その数分の間にはねられてしまって……。

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──それはショックですね。

坂田 さっきまですごく楽しかったのに、人はいきなり死んじゃうんだという体験は、僕の中で強烈なものでした。……60年以上経つけれど、今もはっきり覚えていて、心の中にあります。

©榎本麻美/文藝春秋

 それでも日々は続いていくけれど、ときどき思い出すのね。そういう記憶が、歌をつくるときに出てくるのかもしれない。

──楽しいことばかりじゃないと。

坂田 そう。もちろん、楽しい元気な歌もいいんだよ。でも、人生ってそれだけじゃなく、反対側の影も必ずある。だから、歌をつくるときは、そういう想いも伝わればいいなと思ってます。

「僕は元々、フォークやロックをやっていたのね」

──坂田さん自身も、「うれしい、楽しい」だけじゃない、違和感のようなものを抱えてきましたか。

坂田 違和感といったらさ、僕は『おかあさんといっしょ』に出る前は、フォークやロックをやっていたのね。そんな男が、対極のような《うたのおにいさん》になったのは、違和感の最たるものかも(笑)。

1977年、坂田は『BYE-BYE東京』(テイチク)でソロデビューした。当時は「坂田修」名義

──《うたのおにいさん》として周囲から見られることに、戸惑いはありましたか。

坂田 そりゃね、最初は「おにいさんて、どういればいいのかな?」という思いもあったけど、子どもたちと一緒に歌える喜び。これを一度知ったら、もう離れられないよ。子どもたちとずっと歌い続けられるなら、カッコいい言い方をすれば、「どんなことでもできるわい!」と思います。

 この楽しさは、そうですね……神様からいただいた時間。そんな気がします。