1ページ目から読む
4/5ページ目

 萬次郎は「ここまで」と自殺の準備を始める。大阪時事の記事に戻る。

 奥の間の布団の上に座り、仏壇から樒(しきみ=葬儀などに供えられる小さな常緑樹)の花立3基を下に下ろして、白千筋の浴衣に黒の絽(ろ=夏用の薄手の織物)の紋付を着た。その日に高島屋呉服店(現高島屋デパート)から新調した仙台平のはかまをはいた。そして自殺しようとしたが、ふと考えれば、このまま自殺を遂げれば原因不明になるかもしれないと思い、むしろ名乗って出る方がいいと表戸を引き開けると、東天既に紅潮して日の昇るまでに間がなかった。萬次郎は合掌して東方を拝し、そのまま人力車で西署に出頭した。

 激情に駆られて残虐な大量殺人を犯しながら、現場に漂うこの奇妙な静けさは何だろう。のちにあいが新聞記者に語ったところでは、犯行に使われた刀は、萬次郎が尾州藩士の家に養子に行ったころ、家老から拝受したものだという。萬次郎は船頭だとされていたが、少なくとも自分では武士だという自覚があったのかもしれない。

 大朝には、西署の調べに萬次郎が供述した内容が載っている。

ADVERTISEMENT

「私もエラいことをしてその筋のお手数をかけましたが、ただ女房のあいと養子の明治郎を殺せなかったのが残念です」「きょう殺した者たちは皆、私の恨みのあるやつばかりです。芸妓の妻吉、梅吉の2人は無論小萬(あい)と一つ腹(同心)だったことは確かに認めていました。こま以下3人は小萬と同郷で、世間に顔出しできないほどの恨みを仕向けたから殺したのです」

 大朝、大毎によれば、「子守り」のきぬはこまの兄の娘で、一族への恨みに巻き込まれたことになる。

 翌6月23日付大朝は萬次郎の書き置きについて伝えている。記事によれば、21日午前、判事・検事が現場で押収した書類の中に遺書とみられる8通の書き置きがあった。

計画的犯行の供述とその“物証”

 いずれも山梅楼の抱え芸妓で養女にしていた萬吉こと、れい(事件当夜は外出中)宛てで、短いものは半紙1枚、長いものは半紙6枚に赤インキで書かれていた。萬次郎は調べに「今日こそやっつけてやろうと思うたびごとに書き置きをしたためましたから、たくさんになりました」と供述。だいぶ以前から犯行を図っていたことが知られるという。

 最初の1通には7人の姓名を列挙。凶行後に書かれたらしい2通には大きな文字で「七人を皆ころさんとおもふ(う)たがもう夜があけたざんねんざんねん」と記されていた。殺傷した6人以外に「なお7人の関係者を惨殺する覚悟だったようだ」と記事は言う。