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「耐える美学」について思うこと

――仇討ちについても、以前から気になっていたそうですね。

永井 そうですね。それと、野田秀樹さん脚本・演出、中村勘三郎さん主演で、歌舞伎座で上演された「研辰の討たれ」という舞台があって、これが最高に面白かったんです。それも「仇討ちとは何ぞや」と問いかけてくる内容で印象に残っていました。

――当時は仇討ちすると忠義を尽くしたという美談にされていましたが、現代に置き換えるとそのシステム自体怖いし、忠義を尽くせと強制されるのはパワハラっぽいですよね。

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永井 現代でもあらゆるところで「耐える美学」がある気がします。たとえば家族の介護をしている人は「耐えて頑張っていて偉いね」と言われることが多いけれど、それは耐えている人の本当の心の内に目を向けて言っているのか、と疑問に感じます。

 耐えている姿を美談化する人たちって、ある意味、苦しんでいる当人を見捨てているかもしれないと思うんです。「頑張っていて偉いね」と言われたら、頑張り続けるしかなくなってしまったり、「頑張らなかったら自分は駄目なんじゃないのか」と思って追い詰められたりすることもある。

 といって「頑張らなくていいよ」と声をかけるのも勇気が要りますよね。その人の、頑張らなかった先の人生をどう支えてあげられるのか自問してしまう。これは社会全体の問題かもしれませんが、逃げ場がたくさんあるのがいいことだという形にしないと、当人がどんどん閉じ込められてしまうなと、私は思っています。

©文藝春秋(撮影:深野未季)

「調べるって面白いんですよ」

――そういう思いがあって、こういう仇討ちの物語になったわけですね。それにしても、永井さんは気になったことをとことん追求される印象です。原動力は「知りたい」という気持ちですか。

永井 調べるって面白いんですよ。調べていくたびに「ああ、そういうことか」と腑に落ちるのがすごく楽しいんです。「この時代のこの人とこの人の思想は似ているな、だったらこのあたりで二人が出会っていてもおかしくないよね」と思って調べていって、「ここで繋がった」という瞬間に、「よし」と思いますし。

 自分の予想が裏切られることも好きです。「こういうことかな」と仮説を立てて調べて全然違う答えが出てきても「じゃあどういうことなの?」となってまた調べ始める、みたいなことを繰り返しています。結局、歴史を調べるのって推理だなと思います。歴史の面白さは、ミステリーの面白さに通底するのかもしれません。

――確かに今、おうかがいしながら「探偵みたいだな」と思いました。

永井 そうそう。推理が好きなんです。私はロジカルな人間ではないので、感覚的なところで推理するんですけれど。でもたぶん感覚を突き詰めていく時には、何かしらのキーワードが自分の中に羅列されています。だから、パズルみたいな感覚かもしれないです。