「旗は複数回掲げられましたが、最初に星条旗を立てる時に使った旗ざおは、おそらく(水不足に悩む日本軍が)水を貯めるために使っていたパイプだと思います。硫黄島は火山の島なので、地面から水蒸気が吹き出していました。そこに長い金属パイプを突き刺して下に桶を置き、パイプをちょろちょろと伝わる水を貯めていたのです。そんなパイプが島のあちこちにあったのです。それを米軍兵がどこからか拾ってきたのではないかと思います。ちなみに、桶には『絶対飲むな』と書かれてありましたね。私は、どうしても喉が渇いて、夜中に壕を抜け出して一度だけ飲んだことがありました。硫黄臭くて、とても飲めるもんじゃなかった。あの水は飛行機を掃除するときは使ったけど、大部分を何に使ったのか私は見た覚えはないですね」

 

「陸軍の食糧事情はひどかった」

 硫黄島の島民は約1000人だったのに対し、進出した兵士は2万人超。食糧確保は深刻だった。

「島の北の方にサトウキビの畑がありましたね。豊かな島だったと聞いていますよ。それをね、各部隊が分けているんですよ。部隊の所有物みたいにして。自分たちが植えたんじゃないけど、区域をつくってね、これは何中隊、これは何部隊ってね。サトウキビを分けていましてね。それを知らずにうちの兵隊がかじっていたら、どこかの中尉ぐらいの人に叱られていました」

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「陸軍はひどかったらしいですよ。12月の中頃だったか、夕方に一人の陸軍軍曹がね、私のところに寄ってきて『海軍の給与はどうですか』と聞いてきました。『もう陸軍はひどくてね』と。それでこれから増配を陳情するって言っていましたね。陸軍の人たちは、みんな空腹をこらえていましたよ」

 一方、海軍はまったく違ったという。

一方、海軍での食糧事情は……

「私たちの部隊は、海軍の航空部隊との共同作戦のため島に来たこともあり、食糧は海軍と同じでした。食事は恵まれている方でした。島に来た直後、見張り台の隊長とみられる将校が、原っぱで休憩中の私たちの所にやってきて『食う方と寝る方は心配せんでよろしい』と言いました。まさにその通りで、千葉県にいた時よりも食事は良かったぐらいです。ご飯は真っ白ですよ。みそ汁も出た。本当のみそではなく、粉を溶かしたようなみそでしたが。それに乾燥した野菜とかが入っている。大きな缶詰の牛肉も出た。千葉ではね、牛肉なんてなかったですよ。さすがに(海上輸送を担った)海軍は待遇がいいんですね。あんな島でこんなごちそうがあるとは夢にも思わなかったですよ」

「この島の補給は、陸軍と海軍はまったく別でした。私たちが在島中に、海軍の輸送艦が来たことがありましてね。私たちと同じ飛行場にいる水兵たちは、みんなポケットの中に上等なたばこを三つや四つ入れていましたよ。海軍兵士の間で分散したそうですね。荷揚げしたものが爆撃で吹っ飛ばされないようにすぐ分散する。それでたばこなんかをポケットに入れていましてね」

硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ

酒井 聡平

講談社

2023年7月27日 発売