「潜入取材記者」という肩書がつくことが多い私だが、知らないことばかりだった。「化け込み」という言葉や、明治から昭和にかけ女性記者が、いろいろな職場に潜入取材しているという事実も初めて知った。
本書の前半は4人の先駆的な記者に焦点を当てて紹介する。日本で最初に潜入取材した女性記者は、海外の雑誌からヒントを得て、編集長に直談判し、連載を開始する。自ら行商人に化け、小間物をかついで、さまざまな家庭に潜り込む。
ある貴族院議員の屋敷への化け込みではこんな話を仕入れてくる。その老議員の「娯楽(たのしみ)というとお妾(めかけ)さまだがも、ねーんじう好いお齢(とし)であらっせるのに、十七八のお妾を拵(こさ)えてよー彼処(あそこ)へ連れて行ったり此処(ここ)へ連れて行ったり、膝を枕にしたり抔(など)してなも、ホゝゝゝ」
下世話ないい挿話である。遊郭に行商に行った折には、芸者か娼妓にならないかと勧誘される。
潜入取材の魅力を、著者は、通常の記事がよそ行き顔であるのに対し、「化け込みには本音がある、真がある。この単純さは老若男女の別なく楽しめるのである」と書く。
掲載したのは、読売新聞や大阪朝日新聞、大阪時事新報(産経新聞に吸収)といった主流の新聞社。大手新聞がほとんど潜入取材を載せない現在とは、隔世の感がある。
その前史としては、男性記者による潜入物があった。『日本之下層社会』を書いた横山源之助や『最暗黒の東京』の松原岩五郎などが、社会の最下層で生活をしながら書いたスラムルポだ。こうしたルポが、社会正義を基底としているのと比べると、女性による化け込みは、底辺で暮らす人々に同情しながらも「エンタメ要素が強い」と著者は指摘する。
本書の後半は、実際の潜入ルポの再録だ。三味線弾き、女中奉公、絵画モデルなどの職業が紹介される。驚いたのは、大手百貨店の裁縫部に潜入した次の記述。時は、第一次世界大戦中の1915年のこと。
「勤務時間は朝六時から午後五時半まで、日給一日三五銭。一ヶ月一日の休暇」
日給35銭というのは、今の貨幣価値で1400円に相当する。現在なら過労死ラインを超える労働の対価は、月約4万円。想像を絶する劣悪な労働条件だが、100年ほど前には、これでも十分通用したのだ。
なかには、何の仕事だろうと、首をひねりたくなる職業もある。その一つが「ダンサー」。戦前の20年ほどの間にブームとなった幻の仕事も、先達の残した記事を読めば、どんな職業なのかのみならず、ダンサーがどうやって日銭を稼ぐのかという仕組みも分かる。
巻末に載っている化け込み記事の詳細な一覧表を眺めるのも楽しい。それによると、文藝春秋社が初めて女性の潜入取材を載せたのは、1935年で、「女給に化け込んで一週間の体験記」だという。
ひらやまあさこ/文筆家、エディトリアル・デザイナー、挿話蒐集家。著書に『問題の女 本荘幽蘭伝』『明治・大正・昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』などがある。唄のユニット「2525稼業」所属。
よこたますお/1965年、福岡県生まれ。ジャーナリスト。著書に『潜入ルポ アマゾン帝国の闇』『「トランプ信者」潜入一年』など。