『いまだ人生を語らず』(四方田犬彦 著)白水社

 私事で恐縮ながら、本書の著者、四方田犬彦とは同じ大学の同僚だった。ただ学部が異なっていたため、定年のはるか前に大学を辞めたことは後になって知った。どうやら深刻な病を患われたらしいという噂だけが伝わってきた。

 本書を読み、その病名が脳腫瘍であり、失明や生命そのものの危機に見舞われていたことを初めて知った。そしていま著者が元気でいられるのは、医師の宣告に抗い、リスクの高い手術を頑強に主張し、その手術が奇跡的に成功したからであることも、本書から初めて知った。

 大学を辞めてから会う機会があったが、表情がずいぶんと柔らかくなったことに気がついた。それは長らく謎だったのだが、本書を読んで一挙に氷解した。あの表情は、死の淵を乗り越えた者だけが到達できる境地を反映していたとわかったからだ。

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 本書全体を流れるゆったりとした空気は、まさにこの病の賜物だろう。著者の筆は気の赴くままに時空を駆けめぐる。これまでに訪れたことのある世界各地の都市のちょっとした光景がありありと描かれたかと思えば、少年期から読み親しんできた古今東西の書物の一節が縦横無尽に引用される。もちろん映画の一場面にも言及される。

 旅や書物や映画などの記憶と、自らの半生のさまざまな断面。これらが混然一体となった「四方田ワールド」を存分に堪能できる一冊になっている。

 書物に触れる場合でも、いちいち原典にあたり、出典や頁を明記するという学界の約束事なぞ意にも介していない。文章そのものが、そんな世界からとうに抜け出している。

 著者も言うように、本書は60歳を前にして大学を辞めなければ書けなかった。本書だけではない。60代になってからの目覚ましい仕事の数々は、あらゆる組織から解放されたからこそ成し得たと見るべきだ。病がかえって人間を自由にし、精神の一層の跳躍を可能にする。本書はその証左にほかなるまい。

 真の知識人とは、こういう人のことを言うのだろう。知識は他人にひけらかすためにあるのではなく、自らの人生をより豊かにするためにある。招聘された外国の大学を除いて知識を切り売りする生活をやめた著者は、そのあとの時間をひたすら自分自身のために費やしてきた。

 それは一見利己的な営みに見えるが、その営みをとことん追求すれば利他的な営みになり得ることを、本書は教えてくれる。60歳を過ぎ、人生の残り時間をどう過ごすべきか。誰もが直面するはずのこの問いに対して、明確な答えを用意しているからだ。

 かつて著者が大学の同僚だったことは、私にとってまことに幸運だった。70代になる著者の変わらぬ執筆活動を、心から祈念しながら読み終えた。

よもたいぬひこ/1953年、大阪府生まれ。明治学院大学教授として映画学を講じ、コロンビア大学等で客員教授・客員研究員を歴任。『ルイス・ブニュエル』で芸術選奨文部科学大臣賞。近著に『大泉黒石』などがある。
 

はらたけし/1962年、東京都生まれ。放送大学教授。『昭和天皇』で司馬遼太郎賞。近著に『歴史のダイヤグラム〈2号車〉』など。