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国道を渡り、坂を下ってゆくといよいよ海辺に。石碑に刻まれた文字は…
国道1号を渡り、さらに坂を下ってゆくと、見えてくるのは西湘バイパス。そのガードをくぐると、いよいよ海である。訪れたのがまだ7月も半ばということで、海水浴客で賑わっているということはない。が、洋々たる相模湾沿いの海水浴場には、何人かのサーファーの姿が見える。パラソルを出している人もいるから、一足早い海水浴だろうか。
この大磯海水浴場の隣には、小さな漁港もある。港には漁船がいくつも停泊していて、傍らには「しらす直売所」と看板を掲げた建物もある。いかにも典型的な小漁港だ。さらに海沿いを進むと、漁港の脇に「松本先生謝恩碑」と大書された大きな石碑。松本先生とは誰なのか。そして何を謝恩しているのだろうか。石碑の脇の説明書きを読んだ。
すると、この大磯という町は、海水浴場発祥の地であるという。明治の初め頃の1885年、軍医総監の松本順というお医者さんが、大磯の照ケ崎海岸に日本で初めての海水浴場を開いた。それが、いまや全国に広がる真夏の憩いの場・海水浴場のはじまり、というわけだ。
……などといわれても、いまひとつ釈然としない。日本は海に囲まれた島国なのだから、古来より海で泳いでいた人はいくらでもいるはずだ。むしろ、海沿いに暮らしていた人は海で泳ぐのが日常だったのではないかとも思う。だから、海水浴場に発祥の地もへったくれもないのではないか。