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そもそもなぜ湘南は「湘南」というの?

 湘南という地域名の由来は、相模国の南という意味の“相南”から、中国・湖南省の湘江下流部の景勝地を指す“湘南”をなぞらえたというのが有力な説のひとつだ。そして、江戸時代の初め頃、崇雪という僧侶が鴫立庵に「著盡湘南清絶地」と石に刻んだ。それが、大磯を湘南発祥の地とする根拠になっているようだ。

 

 ただ、いまでいうところの湘南のイメージが定着したのは、もっと最近のこと。明治時代の後半に徳冨蘆花が逗子に暮らし、風景の素晴らしさを讃えたことから湘南のイメージが流布しはじめた。京急電鉄はもともと「湘南電鉄」の名で逗子・久里浜方面にお客を運んでいたから、むしろいまの湘南のイメージは大磯ではなく逗子方面だったから発したものなのだろう。

 戦後の1950年代には逗子を舞台とする石原慎太郎の『太陽の季節』が大ヒット。あのサザンオールスターズは1970年代後半にメジャーデビューし、さらなる湘南イメージの確立に貢献している。

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「湘南」を確立したのは政財界要人たちの…

 と、そうした目下の所の湘南イメージ確立の過程に、ほとんど大磯は登場しない。登場しないからこそ、湘南発祥の地としてアピールする意味もあるのかもしれない。ただ、むしろそうした“湘南”が確立してゆく過程において、大磯はまったく別の側面で存在感を示していた。それは、政財界の要人たちの“別荘地”である。

「大磯」とは、町や駅の名前を意味するだけに留まらず、戦後のいっときは吉田茂元首相のことを意味していたという。すなわち、吉田茂が居を構えていたのが大磯だったからだ。ほかにも大磯に別荘を含めた邸宅を置いていた要人は多く、伊藤博文、山縣有朋、大隈重信、西園寺公望といった教科書にも出てくる歴代総理大臣の名がずらり。

 吉田茂を含め、彼らが大磯で海水浴を楽しんでいたとはさすがに思えない。むしろ、海に近くて風光明媚、夏は涼しく冬は暖かい。それでいて、東京までは鉄道に乗れば一直線。利便性とリゾート性を兼ね備えた地として重宝された結果が、別荘地・大磯だった。

 松本先生が湯治としての海水浴のために駅の設置を提言し、それが実現したことも大きく影響しているといっていい。ともあれ、政財界要人の別荘地となった大磯は、逗子や藤沢といった湘南の他のエリアとは異なる雰囲気を保ったまま、歴史を刻んできたというわけだ。

 

 吉田茂の暮らした邸宅は、旧東海道沿いにある。他にも、その合間にいくつもの要人たちの邸宅跡。大磯駅のすぐ目の前に見える木が生い茂る一角は、三菱財閥創設者・岩崎弥太郎の別邸跡だ。そうしたことが影響しているのかどうなのか、大磯の町は比較的落ち着いた雰囲気が漂っている。

 

 湘南発祥の地が大磯であるか、それ以外であるかはともかくとして、少なくとも他の湘南の町とはひと味違う、独特な世界を確立しているのが、大磯の町の唯一無二の個性なのである。(#2に続く)

写真=鼠入昌史

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。